違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『笑いのツボ』のグラデーション!

笑うことの効能を説く話は多い。

 

笑うことは、ナチュラルキラー細胞を活性化させガン細胞を殺すとも言われている。

 

そして、笑うことでナチュラルキラー細胞を活性化させる効果は嘘笑いのように面白くないのに無理して笑う場合でも効果があるらしい。

 

だからだろうか?、、世の中には笑いを求めての行動なのかもしれないが笑いから遠ざかるものもたくさんある。

 

わたしも朝テレビで見たが、こんな話題があった。

 

 

 

 

 

1年前ベトナム人実習生が撮った動画が発端。

 

日本での劣悪な労働環境を示す動画としてベトナム人コミュニティで回っていた動画が、あいまいな日本語自動翻訳とそれを受けての誤解(もしかして悪意)で日本語化され、ベトナム人実習生がいじめに遭っているという動画として拡散され炎上したのだ。

 

罰ゲームとは言え、犬の格好で歩くことのどこがおもしろいんだと思う人と、これおもしろいな今年の忘年会でやろうと思う人に別れるのだろう。

 

 

上記のツイートのように、この件ではベトナム人が犬のように扱われたわけではないが、わたしにとってはそもそも動画自体が全くおもしろくないのだ。

 

 

しかし、このような動画で笑える人がいるから犬の格好の罰ゲームは行われたのだと思うと、笑いのツボのグラデーションについて考えてみたくなった。

 

 

笑いには、キッカケがあるから笑えることと、キッカケは明確でなくても笑えることがある。

 

キッカケが無くても自然と気がついたら自分が笑っている代表が、赤ちゃんやペットを眺めたり触れ合ってる時だと思うが、最近ではこれは誰にでも当てはまる話ではなくなってきている。

 

日本での少子化を語る時に、子育てが大変だからという理由が上がるが、それ以前に赤ちゃんが万人にとって癒しの存在ではなくなっていることも大きな理由ではと思えてくる。

 

泣き声がうるさい、ベビーカーが邪魔と感じる人が増えている。

 

見てるだけでこちらを笑顔にさせてくれる赤ちゃんという存在が幻想になりつつある。

 

赤ちゃんを嫌がる人の中には意外なことに女性も多いのだ。

 

赤ちゃんを見せられると、幸せ自慢をされてるように感じる人がいるらしいのだ。

 

知らず知らずのうちに笑いや幸せの大元に序列意識が侵入し始めているようなのだ。

 

他人(あるいは特定の誰か)と比べて優位に立っていれば笑いが出て、劣っていれば笑えないということが増えている気がする。

 

漫才などのお笑いネタやバラエティ番組も序列意識やマウンティングを織り込むものが多いような気がする。

 

笑いのツボというのは本来個性が強く出るのだが、序列意識やマウンティング意識が入り込むと自然発生的に忖度が生まれるのが日本(人)の特徴だ。

 

極めて個人的な価値観である笑いのツボにも世間や属するコミュニティの価値観が介入することになる。

 

童話の『裸の王様』で「王様は透明な服をお召しになってます」と言った多勢の人々と同じになっているのだ。

 

忖度を自然と行う場合、おそらく心の中で何かが壊れているだろう。

 

忖度というのは一種の中毒だから、簡単にはやめられないし、やめたつもりでもフラッシュバックが簡単に起きるだろう。

 

忖度してると笑いのツボもそれに合わせたものになる。

 

その人の笑いのツボがどこにあるかを見てると、その人がどのような属性のコミュニティに属しているかが判断できるヒントになるだろう。

 

会話をすると言ってることには共感できるけど、笑いのツボが違うような場合は、発してることばは疑った方が良いかもしれない。

 

ことばは簡単にウソをつけるが、笑いのツボは簡単にはコントロールできない。