「正義とは?」と問われると、案外答えにくい。
ウィキペディアにはこう書いてあるが少し難しい。
正義(せいぎ、英: justice、仏: justice、独: Gerechtigkeit、羅: jūstitia、希: δικαιοσύνη)は、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさに関する概念である。正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。以下では、もっぱら西洋における概念(すなわちjusticeないしそれに類似する言葉で示されるもの)を記述する。東洋のそれについては義のページを参照。
正義はよく分からないが、正義の味方だったらピンとくる。
昔の子供だったらウルトラマンや仮面ライダーみたいなものをイメージするだろうか。
この感覚は現代の子供も同じなのだろうか?
少し成長し中高生になると、正義の味方は犯罪者を捕まえる警察や刑事になるかもしれない。
いずれにしてもドラマや小説の影響を受けていることは明らかだ。
正義とは、正義の味方から連想するようになると、反対の存在として悪や犯罪を連想するが、現代では悪や犯罪の側も独自の正義論を振りかざす。
日常生活に身近なところで起きた出来事にもそういうことが垣間見える。
石原良純 あおりエアガン男に「どっかで正義なんだと思い込んで…」
「どっかで正義なんだと思い込んで、危ない運転をしているやつを注意してあげるっていう、正当化するっていうところでは一緒なのかなって思います」
18年前の2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。
世界中の多くの人が接した第一報はこんな映像だった。
イスラム過激派「アルカイダ」が起こしたこの自爆テロに対して、アメリカを中心とした西側先進国は報復のための戦争を行った。
2001年9月11日を起点にするとその後の展開は、アルカイダの理不尽さに世界の正義が立ち上がったようにしか見えない。
では、アルカイダはなぜ自爆テロを行ったか?
これに関しては伝えられてることはあるが、本当のことは不明に近いと感じている。
しかし、自爆の実行犯は自身も死を覚悟していたことを考えると、かつての日本の特攻隊のように大義が成立していたはずだ。
大義が成立するところには正義も存在している。
特攻隊に課せられた大義は、日本国家(=当時の天皇)のためにだったが、特攻隊員一人一人にとっては残される家族のためであり、亡くなった家族や仲間のためにという大義だった。
大義のもとに成立する正義は決して一つではなく、多様なグラデーションを描いているのだ。
正義を振りかざす側には大義があり、振りかざす相手は悪であり敵になる。
しかし、そんな悪であり敵である存在にも大義があるとすれば、そこで起きていることは正義対正義になる。
正義の反対には、別の正義がある場合があるのだ。
最近の詐欺は、金持ちのお年寄りからの搾取を狙うものが多いが、結束力の強い詐欺集団では教育啓蒙のプログラムも実行されていて、詐欺をしなければいけない不遇の理由は富を分配しないお年寄りのせいだと洗脳しているらしい。
この洗脳を受けると、詐欺行為に正義をふりかざす大義が芽生えるらしい。
この手法は真っ当なビジネスにも応用可能なので当分減ることはないかもしれない。
正義の反対には別の正義が存在していることがある。
近寄ってくる悪は見抜いて排除することができるかもしれないが、近寄ってきてるのが別の正義の場合、案外簡単に受け容れるかもしれないということを意識する必要がある。
「自分は正しい」という思い込みには要注意!