詐欺をまともなビジネスだと思う人はいないだろう。
そのことが落とし穴を生んでいる。
詐欺はまともなビジネスではないという思い込みは、詐欺の被害者をお客様という観点では捉えない。
ビジネスの基本は、『あなたに寄り添ってますよ』とお客に思わせることだ。
良いビジネスは、繋がっていることをしっかり伝え理解してもらう。
しかし詐欺は繋がってるように見せかけて実際には繋がらないことが大事だ。
それは構図としての身内にも当てはまる。
現場で動く実行犯も被害者と同列で、受け子や出し子を含めた実行犯って、まともなビジネスの世界で言うところの派遣や契約社員に似てるな思ったら、当事者として関係する全てがまともなビジネスの世界の構図が完全に当てはまるなと思えた。
黒幕と呼ばれる存在は、持ち株会社のような存在で、現場には関わらず、現場で動く子会社や関連企業が上げる売り上げや利益を吸い上げるだけなのと同じだ。
ここでいうビジネスとは資本主義に則ったビジネスのことで、では資本主義とは何かをざっくりと言い切ると、最初に借金することであり、最初に借金させること。
借金させるの中には借金ではなく一括で支払わせるというのも含まれるし、今風に言うならサブスクリプションも含まれる。
賢いつもりでサブスクリプションを使ってるとするならば結構滑稽な場合も少なくないだろう、もちろんケースバイケースだが。
モノづくりや実在するモノを商品として扱うビジネスは実業と呼ばれるのに対して、お金や信用を商品として取り扱うビジネスは虚業と呼ばれる。
虚業の誕生は資本主義によってであり、安定して儲かるのも虚業。
虚業が銀行に限られていれば一定のルールから逸脱することは少ないが、資本主義が高度化すると虚業は複雑怪奇の度を深め今がある。
実態も実体もない虚業、つまり詐欺のような、がビジネスの体を装うのは必然なのだ。
必然だからといって決して善ではないが、これを悪だと思い込むと誤解が起きる。
この場合の善に対する悪とは、虚業の側というよりもその客となり騙される側だ。
少なくとも世間の認識がそう変わらない限りいかがわしい虚業は幅を効かせるだけだ、なぜならお客に寄り添おうとしてるだけなのだから。
騙された被害者を救済するかのような仕組みや、悪い奴を捕まえ裁く仕組みは体裁上整ってはいるが、それはそれで実際には虚な存在だ。
最近のトレンドとして、被害に遭ったり騙される人の傾向として、情報の入手がスマホのみという人が増えてる、つまり年齢層で言うと若いのだ。
虚業がターゲットにしてるのがそういう人たちで、もっとざっくり言うと、自分で自分のことを賢いと思っている人が、しかし情報や判断力が偏っている人が、狙われているのだ。
表面上は、騙そうとしてるのではなく寄り添おうとしてる。
しかし、情報と判断力があればそれはビジネスとして成立しないことにも気付けるのだ。
しかし、賢いつもりの人ほど、裸の王様を見た時に「透明な服をお召しになってらっしゃる」と反応するのだ。
資本主義の本質が、最初に借金をすることであり、最初に借金させることであり続ける限り、虚業は手を替え品を替えるだけなのだ。