最近、神戸の良くない話題が多い気がする。
直近では、大きな二つの話題があって今も燻ってるというかしっかりと燃えている。
【これは酷い】市長の中止要請を無視して組み体操を実施⇒生徒51人負傷&6人骨折 神戸市教育委員会 https://t.co/vR9IximEBL pic.twitter.com/Kf6xp3d2Sq
— 情報速報ドットコム (@jyouhoucom) October 9, 2019
一連の記事読んでるけど、これ、加害者教員を職場で処分とか依願退職とかで済む話じゃなくて、普通に犯罪だよね。被害受けた教員は普通に被害届提出や告訴でいいと思う。
— 弁護士大西洋一 (@o2441) October 9, 2019
教員いじめの女性教員「(被害教員の)クラスを潰したれ」と指示【東須磨小校長会見】 https://t.co/vhZbLmxW4p
ボ〜ッと見てるとたまたま起きた二つの出来事のようだが、共通点は神戸市教育委員会。
神戸市教育委員会の問題かと思いきやこんな話も出てきた。
何と、神戸市の教育委員会には、神戸方式が採用!教頭よりも、年功序列の優先で、古狸教員が格上の体質が存在とな!今回の、虐め集団獣先生の4人の内、総親分格一人は40歳代の化け物が存在!後から、転勤の校長も、口出しが出来ぬ体制とな!”文科省よ!凝んな教育体質でいいのか!即改善を願いたい!” pic.twitter.com/L4uCW3rAH1
— 維新の会関東東北:水戸黄門 (@ishinnokai) October 10, 2019
番組は見てなくてツイートの印象だけで語ると、『神戸方式』がキーワードのように感じられる。
神戸市民がどこまで理解できてるか分からないけれど、どちらも小学校で起きてることを考えると、神戸で生まれ育った人が自分の体験を日本共通だと思っていても、それは神戸だけという負の体験がありそうだ。
これらの件がキッカケで神戸を舞台にしたこととして思い出したのが2017年のクリスマスのイベント。
神戸・世界一のツリー、樹齢150年の大木を伐採して「考えて」→炎上
神戸港開港150年目を記念し、富山県から推定樹齢150年のアスナロの巨木が運ばれた。全長約30メートルという。また、阪神淡路大震災の鎮魂の意味も込め、復興のシンボルとしたいという意図も説明されている。
このイベントが炎上したことを覚えているだろうか?
上記の記事の最後は次のように締め括られている。
些細なプレゼントでもいいけれど、包装紙だけ過剰なのでは白ける。この企画の違和感の本質は、メッセージへの「がっかり感」。それを受け止めてほしい。
とあるように企画者は批判と非難の矢面に晒されて、次のような見出しで報じられていた。
神戸「世界一のツリー」騒動で糸井重里「炎上」 「批判者を批判?」ツイート連発に「幻滅した」
『神戸』という冠を付けて発信される情報や話題にガッカリ感が付いて回るようになったのはいつからだろうか?
多くの人が何となくイメージするのは1995年の阪神・淡路大震災だろうが、次のツイートを見るとそれだけが理由ではないが、神戸は没落ということばとセットで捉えられることが増えたように感じられる。
コンテナ取扱量の多い港 https://t.co/DfosDlvUyR 日本最高は京浜の20位。1995年以前は神戸は世界のTop5に入っていたが没落は震災ばかりが原因ではない。建設・国土交通省が日本海側を中心に地方港の整備を進めた結果、貨物が分散し、ハブも韓国・中国に移った。 pic.twitter.com/p5peEjs6oP
— Spica (@Kelangdbn) January 14, 2019
阪神・淡路大震災の後、震災が理由ではないが90年台後半以降東京への一極集中が加速したことも、神戸の没落を加速させたのかもしれない。
『神戸』と『没落』は相性が良い組合せらしく検索するといろいろ出てくる。
みんなで稼いで幸せを分け合っていた神戸市も、今は昔。神戸市民様、余裕を失うほどに没落したんだなあ。役所より、こんなことガタガタ言うようになった神戸市民の落ちぶれ方が惨めだわ。 https://t.co/XX5eWZYhkc
— mistral6996 (@mistral6996) June 16, 2018
もうみんなダイエーって神戸で生まれた会社だったってことを忘れてると思うけど、わたしも忘れていたが、次のツイートで思い出した。
95年頃までの神戸ってあまりにもダイエーが何から何まで絡んでリードしていたから、その没落が即街の低迷に直結してるってのはあると思う。
— ボヴ (@cornwallcapital) August 18, 2016
日本の小売業界をリードしていたダイエーが初めて赤字を計上したのが1995年。
冒頭で紹介した教師のいじめが起きたのは神戸市須磨区。
1997年には神戸市須磨区で中学生が小学生を複数殺す神戸連続児童殺傷事件が起きている。
Wikipediaでこの事件を伝える報道の現場の光景も記されてるが、その一部を紹介すると、
Aが逮捕された数時間後、須磨警察署からのニュース報道が行われたが、レポーターの背後に群がっていた野次馬に紛れた、茶髪の少年がピースサインをしたり携帯電話で電話しているという姿が映し出された。
この光景に対して、神戸小学生殺人事件を考える会が行った調査では、半数以上が「馬鹿・恥知らず」という回答だった。「馬鹿の見本市のようだった」「あの時間に須磨にいるのだから、全員が地元の子だろう。地元にいて、なぜあんなことができるのか。考える頭がないのでは?」「ことの重大さがわかっていない。親の顔が見たい」という意見があった。
この子たちは、今はいい歳した体だけは大人になっている。
1995年を境目に没落し始めて4半世紀の神戸は、日本の将来を先取りしてるのかもしれない?