違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

30年周期

次のツイートを見て思った話。

 

 

 

わたしが刺激を受けたのは30年周期という部分。

 

 

30年という年月の部分はもっとザックリとした幅があるにせよ、子供が大人になったり、若者が老いを意識するには充分な期間となる。

 

占いでも10年毎、30年毎に巡る運気の変化は重要だと考えると聞いたことがある。

 

 

そういえば、企業や事業の寿命も30年周期だという説もよく聞く。

 

 

病気に罹るのは病名が命名されるからという説がある。

 

その症状を表現する名称があるから病気になるとしたら、そんな病気があることを知らなければ、たまたま不調になっただけとしか思えないものだ。

 

そういう意味で30年周期を捉えると、昔から人間活動に於いて30年周期は意味があるのだろう、そもそも人間の寿命の壁が30歳という時代すらあったのだから。

 

 

大きな変化が30年周期で起きるとすれば、大事になるのはその起点はいつだったのかだ。

 

世界の人すべてにとって重要な30年周期の起点日があるとすれば、それは人類に共通なものとなるが、日本人にとってだけ重要な起点日もあるだろうし、それぞれの家族単位であったり、自分個人にとってなど、さまざまな起点日が折り重なるように存在してるだろう。

 

ちなみに、地球は太陽の周りを1年で一周してるのだが、30年で一周してるのは木星。

 

 

ある程度以上の年齢になると、ファッションの流行に周期説が当てはまることを感じる人も少なくないだろう。

 

 

 

いわゆるITの起点をどこと捉えるかで周期説の解釈も変わるだろうし、そもそも日進月歩のテクノロジーの世界に起点を設定できるのかという意見もあるだろう。

 

わたしにとってのITの起点は1995年にWindows95が出た時で、この頃に何となくだがキーボードから逃げて生きることはできないと悟った覚えがある。

 

これに比べたらiPhoneの登場は予定調和に過ぎず、世間が言うほどイノベーションとは感じてない。

 

 

人それぞれに、自分だけの30年周期があるとすれば、そのことについて考えるのは意味があるはずだ。

 

もしわたしにとって1995年に意味があったとするなら、次の転機は間もなくやって来るか、そろそろ何かが起きつつあるのかもしれない。

 

今だったら間に合うのかもと思うと悪い気はしないが、ちゃんと気付けるのだろうかと思うと武者震いがしてくる。