違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

「自分だけが知っている」の魔力!

Googleで「自分だけが知っている」と検索すると、

 

 

Google検索「自分だけが知っている」



 

 

検索の結果からは、「自分だけが知っている」には、「自分しか知らない」というニュアンスがあり、そのことに優越感を感じていそうで、恋愛にありがちな感じがとても伝わってくる。

 

恋愛における「自分だけが知っている」は、一種の“のろけ”であり自慢めいたもので「今の自分は世界で一番幸せ」と思っていればこそである。

 

しかし、「自分だけが知っている」が与えてくれる優越感は恋愛に限った話ではない。

 

一般的には広い意味での“とくダネ”が該当し、分野としては政治や芸能のスキャンダルであったり、経済面では株価や業績に影響を与えるような事実や噂だったりする。

 

「自分だけが知っている」の良い点は独りよがりな優越感に浸れることだが、悪い点としては世間の目に晒されてないことで真の優越感であることが確定してないことにある。

 

「自分だけが知っている」に付き纏う優越感の多くは、期間限定となることがほとんどで、優越感どころか劣等感と紙一重だったとバレるものも多い。

 

 

そもそも優越感というのは他人と比較するから感じられることで相対性を気にしてるから囚われる感情で、他人は関係ないという絶対性を持って取り組んでいるとどうでも良いのが優越感だ。

 

多くの人にとって勉強は、自分のためにやっていたはずだが実際は他人と競い合うものだったはず。

 

他人と競い合うと、成績の良し悪しを順位が上か下かで判断するようになる。

 

順位が関心事の場合、順位が良ければ優越感を感じることもあるだろうが、順位よりもやった勉強の理解度や習熟度に関心がある場合は優越感など出番がないはずだ。

 

 

 

「自分だけが知っている」が与えてくれる優越感について考えてみたが、どうやらクセモノは『自分だけ』にあるように思えてくる。

 

 

 

 

 

即戦力ですぐに結果を求める世の風潮の中では、『自分だけ』に囚われやすくなる、そうなると目標や目的は自分自身の内側からは生まれなくなり、自分の外側ばかりが関心事になる。

 

自分の外側とは、他人の目から自分がどう見えるかだ。

 

自分の外見やファッションも含めて、他人から与えられる成績や評価だ。

 

 

他人の目を意識した行動なのに、『自分だけ』と優越感や独占欲に苛まれてしまうことが魔力となり、心に大きなダメージを与えてストレスを生むのかもしれない。