Googleで「自分だけが知っている」と検索すると、
検索の結果からは、「自分だけが知っている」には、「自分しか知らない」というニュアンスがあり、そのことに優越感を感じていそうで、恋愛にありがちな感じがとても伝わってくる。
恋愛における「自分だけが知っている」は、一種の“のろけ”であり自慢めいたもので「今の自分は世界で一番幸せ」と思っていればこそである。
しかし、「自分だけが知っている」が与えてくれる優越感は恋愛に限った話ではない。
一般的には広い意味での“とくダネ”が該当し、分野としては政治や芸能のスキャンダルであったり、経済面では株価や業績に影響を与えるような事実や噂だったりする。
「自分だけが知っている」の良い点は独りよがりな優越感に浸れることだが、悪い点としては世間の目に晒されてないことで真の優越感であることが確定してないことにある。
「自分だけが知っている」に付き纏う優越感の多くは、期間限定となることがほとんどで、優越感どころか劣等感と紙一重だったとバレるものも多い。
血液クレンジングとか水素水とか疑似科学が広まるのは、「教科書が教えない歴史の真実」などというトンデモ陰謀説が広まるのと似た人間心理が働いている。呉座勇一氏曰く「自分だけが知っている優越感。否定され、迫害されるほど高まる信憑性」しかし「ほぼ全ては学者らが荒唐無稽すぎて捨てた説」と。
— 中岡秀次 (@shuji5175) October 19, 2019
そもそも優越感というのは他人と比較するから感じられることで相対性を気にしてるから囚われる感情で、他人は関係ないという絶対性を持って取り組んでいるとどうでも良いのが優越感だ。
多くの人にとって勉強は、自分のためにやっていたはずだが実際は他人と競い合うものだったはず。
他人と競い合うと、成績の良し悪しを順位が上か下かで判断するようになる。
順位が関心事の場合、順位が良ければ優越感を感じることもあるだろうが、順位よりもやった勉強の理解度や習熟度に関心がある場合は優越感など出番がないはずだ。
これが大学院の魔力です。勉強と研究は違います。それに勉強をすることで大学時は他の大多数に対してある種の優越感を得られますが、大学院から先は母数は減る一方。孤独な戦いです#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/J6YTPH05M1 pic.twitter.com/OgBqHSiYRr
— たけだちゃんさん (@ba7hakiiro) April 12, 2019
「自分だけが知っている」が与えてくれる優越感について考えてみたが、どうやらクセモノは『自分だけ』にあるように思えてくる。
自分は相手の悪口を散々言うが、他人が悪口を言おうものなら怒って「あいつのなにを知ってる」と言い出す、その理不尽な言動に隠された、「あいつの悪口を言っていいのはあいつのことを知っている俺だけ」というむき出しの独占欲とぎらついた優越感はたまらないですよね。不恰好な愛情表現が愛しいです
— e子 (@115changE) July 30, 2015
「二人だけの秘密にしよう」初めてキスをしたときも、初めて夜を共にしたときも、彼はそう言ってひそりと笑った。幸せな優越感は心の内に秘めておくにはあまりにも熱くて、ふいに吐き出しそうになる。自分だけが彼を知っている、こやつはわしのものだと。「だめだよ」唇に人差指が触れる。「絶対にね」
— 文月 (@instant_fgn_ss) October 18, 2019
即戦力ですぐに結果を求める世の風潮の中では、『自分だけ』に囚われやすくなる、そうなると目標や目的は自分自身の内側からは生まれなくなり、自分の外側ばかりが関心事になる。
自分の外側とは、他人の目から自分がどう見えるかだ。
自分の外見やファッションも含めて、他人から与えられる成績や評価だ。
他人の目を意識した行動なのに、『自分だけ』と優越感や独占欲に苛まれてしまうことが魔力となり、心に大きなダメージを与えてストレスを生むのかもしれない。