れいわ新選組の山本太郎さんが日常的に特殊警棒を持ち歩いていると話題になっていた。
そのことの是非を話題にする人が多く、その多くは感情論と法解釈論で展開されている。
もちろん山本太郎さんが特殊警棒を持ち歩く理由は護身用としてだ。
今日の話題は護身について。
昨今のように自然災害も増え、しかも自然災害の多くは突然であったり、逃げ場がない状況で起きることも少なくない、このような状況から自分を守ることも護身かもしれないが、護身という言い方をする場合の害とは人間によってもたらされる理不尽な攻撃の方がしっくりくる。
法に則っての攻撃もあれば意図的な腕力や暴力というものもあるし、突発的な事故のような不可抗力的なものもある。
どういう種類であろうと、護身という観点からすると被害を受けることは負けになる。
負けないために何ができるか、何が有効か?
攻撃こそ最大の防御という考えがある。
先制攻撃というよりも受けた攻撃に対しての反撃だ。
この価値観が強ければ体を鍛え格闘技を身につけるということにつながるだろう。
筋トレブームは美容や健康という観点だけでなく護身のためという側面も無視できないだろう。
そしてそれだけでは物足りなければ武器を持ちたくなるだろう。
現代の強力な武器は法律だが、法律という武器は防御よりも先制攻撃に向いている。
法律を別にすれば、実は法に背くことになる。
銃や刃物や凶器など。
これらは攻撃の意図を持っている場合と、護身やいざという時の防御のつもりで準備してる場合では気持ちに違いが出る(らしい)。
護身用として銃を持ってる場合、ムカつく奴がいてもいつでも引き金を引けば確実に殺せると思えることで、ムカつかなくなるらしいという話を聞いたことがある。
銃の重みは、相手に対する優越感に直結することで、その相手はどうでも良い存在になり、無視できたり上手にあしらえるようになるらしいのだ。
本気で心理的な優越感を持てればそれは防御のための武器として機能するのだ。
逆に考えると、現代人が怒りっぽいのは心理的に追い込まれ被害妄想に苛まれるからだと想像できるし、その多くは劣等感や無力感のせいだろう。
しかし、そんな人でも小さいけど強力な武器を隠し持っていれば、少々の嫌なことがあってもニコニコ心穏やかに振る舞えるかもしれない。
武器は周りの誰も持ってないが自分だけが持っているから優越感に繋がるが、皆が持っていれば全く違った結果になるだろう。
極論すれば、こっそり隠し持ってるアイデアだって武器にできるのだ。