人間は迷える子羊。
自分があるような自分がないような、自分中心のようでいて他人にも気遣いをしなければならない。
単純に本能に基づいて行動できないことが多いので、苦悩や葛藤も多くなるし、時には矛盾の両立を迫られることもある。
他人と簡単に比べられる時代――SNSはデモやテロの引き金になるか
社会学などでは「期待している状態と現実のギャップ」を相対的剥奪と呼ぶ。いわば期待が裏切られた状況で、人は不満を感じやすい。
1929年、世界恐慌が始まる2ヶ月前に恐慌の発生を予見しながら亡くなったヴェブレンは、
「人間はほかの人との相対的比較において、自分が上回っていると幸福だと思う動物で、絶対的レベルで幸せだとは思わない。だからもっと豊かに、とばかり考えていると、バブルになり、それがはじけて大変なことが起こる」
と言い、そしてそれが当たった。
経済学の父と言われ「国富論」の著者であるアダム・スミスは、経済学に進む前は倫理学を行い「道徳実践論」という本を書いているが、その中で、
「人間には弱い人と賢い人がいる」。
「弱い人」というのは、お金持ちになればなるほど、幸せになれると思っている人。
「賢い人」は、あるところまで行くと、これ以上お金持ちになっても同じだ、別の価値に自分の生きがいを見いだしたほうがいいということが分かっている人です。
と書いている。
他の生き物と比べて人間は、他者との関わりの中で相対性と絶対性の狭間を行ったり来たりを繰り返している。
世渡り上手な人は、相対性の使い分けが上手な人が多い。
結果を出す人には、絶対性に対するこだわりが強いことが多い。
わたしを含めて、相対性と絶対性の使い分けが中途半端な世の中の大多数は、世渡りが上手でなく結果も出ないことで悩むことが多い。
悩みに上も下もないが、精神的に気楽なのは絶対性で悩むことだと思える。
これこそ自己責任だからだ。
悩みを解決できてもできなくても全部自分のせいで、どうしても無理な場合は諦めることになるが、それはすっきりとした気持ちを伴うことが多い。
相対性で悩む場合、自分以外のことで悩むことになる。
問題解決の主導権を自分が取れるわけではないので、努力や頑張り以外の運のような力に頼ることが増える。
現代の悩みの根深さは、相対性の問題でありながら自己責任が求められるという矛盾に似た構造にある。
情報量が増え、増えた情報に容易にアクセスできるようになったことで、見えなくても良いものが目に付くようになったことで現代人は相対性にがんじがらめに呪縛されている。
このような悩み方を強いられてる人は、絶対性が求められる領域にシフトする方が健全に悩むことができるはずだ。