『直感的な〇〇』と表現されるものが多い。
多くの場合は、操作感や一目瞭然性に対して使われ、分かりやすさのレベルが高いことを意味する。
これまでの経験上、本当に初めて体験する人でもすぐに分かる分かりやすさを、直感的と表現されるものが備えているかというと、『No』と言いたい。
実際には、使い方や意味を知ってる人には分かりやすく使いやすいが、初めての人に要領良く説明できないような場合に、言い訳のように使われるのが直感的というワードだと思っている。
世間一般ではiPhoneの登場で浸透したように記憶してるが、いまだに新機種が登場すると本屋には多くの使い方マニュアル的な新刊本が出るところを見ると、直感的に理解できない人が少なからずいるということが想像できる。
直感的の反対語は、世間的には論理的や統計的や難解などの意味が与えられるが、それらを総合してマニュアル的だと思っている。
そして、実は中身が対して違わないのに直感的とマニュアル的が反対の関係に置かれるのは、評価の中心にデザインが位置するようになったからだと感じている。
分からない人や初めての人にとっては大差ないことも、一旦覚えて理解した後では、圧倒的に直感的を売りにする方が使いやすいし、操作しやすかったりする。
マニュアル的なアプローチでは、できるかできないかが問われるが、直感を要求する分野では、自然か不自然か、楽しいか楽しくないか、気持ち良いか気持ち良くないか、そういったことが問われる。
ビジネスをはじめ、趣味でも遊びでも、できるかできないかという結果が問われることが多い。
結果が出ないことがダメなのはしょうがないとして、結果が出るだけでも満足できないことも増えている。
結果が出ることだけでは人の心は満たせないとすると、それを埋めるのはもっと曖昧な感情的な要素だとしても不思議はない。
人間は、絶対性よりも相対性で悩む生き物。
自分自身の目標や希望を掲げて苦悩する人よりも、周りの人と自分を比べてその相対性に悶々とする人の方が、幸せや心の豊かさからは遠ざかる。
この悶々の大元には理屈ではない直感的な感覚がある。
広く世間を見渡すと、本当は自分自身が豊かな気持ちになりたいはずなのに、自分が豊かになろうとするよりも、豊かな人を引き摺り下ろす方に快感を覚える人が多いという身も蓋もない現実は昔から根強い。
世の中には、両極端な直感的なものがある。
直感は、良いデザインと結びつける必要があるのだ。
デザインと結びつかない直感には要注意だ。
この使い分けを上手にできないと残念な生き方しかできなくなる。