2020年の箱根駅伝は下馬評ではイマイチだった青山学院が往路優勝した。
箱根駅伝はなぜ人気があるのか?
昔から不動の人気だったような気がするが実はそうでもなくて、今のようなスタイルで箱根駅伝が身近な存在になったのは1980年台の半ばらしい。
全国区の人気を得ている箱根駅伝だが、実際にはローカルスポーツイベントだったのだ。
そんなことを教えてくれるのが次の2年前の記事。
なぜ箱根駅伝中継は面白いのか「テレビが箱根を変えてはいけない」
坂田が実現に向けて、社長以下役員を説得していた1986年当時を振り返る。
「企画書はプロデューサーが書くんですが、箱根駅伝の場合、僕の名前だけでは通らないだろうと思ってチームとして出しました。その中にスポーツ中継のエースだった田中君に入ってもらった。それまで僕からスタッフを指名したことは無かったけれど、こればっかりは失敗して悔いを残したくなかったから。彼は僕には無い技術スタッフからの求心力があったからね。役員に指摘された懸案はひとつひとつ潰して行きました。
ローカル大会ではあるけれど、その年に走った選手の出身地を調べたら47都道府県の中で選手がいないのは2県だけでした。字幕で選手を紹介するときに出身地を出しますと言ったり、地理的に技術の手当てができないところは大会や選手のエピソードなどを映像化してカバーすれば余計に価値も高まりますと説明してようやく役員会議が折れてくれました」
ローカルな駅伝でありながら1986年当時で選手が0の出身県が2つだったらしい。
今はどうなのだろうかと思っていたら2019年12月29日の読売新聞の箱根駅伝特集に次のような図表が載っていた。
選手0の出身県は、
奈良県
和歌山県
島根県
高知県
沖縄県
の5つと出ていた。
GoogleTrendsで検索データが出てくるのは2004年以降で、すでに箱根駅伝は不動の人気を得ている時期になるのだが、念のために調べてみると今年のデータは明日の復路も残っていてまだ出切ってないが、2004年以降もぐんぐん伸びていることが分かる。
駅伝の試合は他にもあるし、大学生以外も実業団もあるが箱根駅伝だけはなぜか別格な存在感がある。
箱根駅伝出身の選手が卒業後にマラソンや実業団に進んでも、箱根駅伝に出てたときのような気持ちで応援する気にはならないのはなぜだろうか?(わたしだけだろうか)
箱根駅伝の魅力を語る話は多いが、その中に敗者の美学と表現されるものがある。
最近は強いチームがもてはやされる傾向を感じるが、箱根駅伝が盛り上がる要因の一つに、襷を繋げなかった選手やチームが泣き崩れる姿というのがあったような気がする。
駅伝の大会はたくさんあるが、襷が繋げない涙は箱根駅伝が一番似合っている。
敗者の美学は、儚さの美学でもある。
そういえば、駅伝というのはそもそも日本発祥のスポーツだ。
そして走れメロスの世界観がある。
メロスなんて名前が付いてるから外国の話だと感じるが作者は太宰治。
明日の復路にはどんなドラマが起きるだろうか?
復路には繰り上げスタートがあるから敗者の美学もきっとあるだろう。
箱根駅伝が好きな人はコテコテの日本人と言えるだろう。