違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

金太郎飴的なことの功罪

東京への一極集中とはよく言われる話だが、それと同じくらいどの地方にもミニチュア東京化が進んでるように感じることがある。

 

地域ごとのバラツキや他とは違うように見える特徴は、東京の23区と都下の違いのようなものと解釈すると収まりが良いかもしれない。

 

そんなことを思ったのは次の記事を読んだから。

 

セブン、ファミマ、ローソンなど コンビニ“勢力分布”を可視化した「コンビニ勢力図」最新版が話題に

 

 

この記事を読んで最初に思い出したのは、新幹線の駅ができた地方都市のこと、特に東海道新幹線及び博多までの延伸区間で。

 

この区間内でかつそれぞれの地域の中核都市は完全にミニチュア東京化し、それ以外の地域では人口流出が進んだ。

 

 

コンビニ勢力図でいうとセブンイレブンが優勢な地域がミニチュア東京化が顕著な地域となるだろうか。

 

曖昧な記憶だが20年前頃の1日あたりの売り上げはセブンイレブンがダントツで平均60万だったと記憶している、この記憶は鮮明だが他のコンビニが曖昧なのだが20〜30万円低かったような気がする。

 

最近はどうかというと、セブンイレブンが65万円でファミリーマートとローソンはともに50万円辺りらしい。

 

店舗数やその分布に違いはあっても、一店舗当たりの守備範囲は似通っているように感じる、また、コンビニには独自商品も多いが、違ってはいても似通っていることには変わりない。

 

改めて考えるとすべてが東京化してるのは間違いないとして、その違いを規模やスケールで見るとミニチュア化に感じるが、要素として見て規模やスケールに振り回されないようにすると、むしろどこを切り取っても同じ金太郎飴に近いように思えてくる。

 

首都圏のローカルイベントである箱根駅伝がテレビ中継やラジオ中継で全国的になると、他地域の大学の駅伝チームも参加できるようにと話が膨らんでいるのも金太郎飴的な動きに感じられる。

 

おそらく背景にある価値観は一極集中による効率重視なのだろう。

 

地域の商店が消滅し巨大なモールが栄える文化と同じ。

 

ミニチュア東京化が促進させた金太郎飴化は、格差の拡大の上に成り立ってるのでとてつもなく大きな能力や実力の差があるように感じるが、実は誰がやっても同じことやものばかりにしてるようにも感じる。

 

どこを切っても同じように見えることは、人によっては安定感が高いと感じるかもしれないが、閉塞感も強いかもしれない。

 

形式的な安定が感情的な不安定に繋がりやすいとすれば、感情の安定は形式的な不安定と無関係ではないかもしれない。

 

もちろん過ぎたるは及ばざるが如しなので、不安定といっても何もかもが満たされるわけではないという程度だろうが。

 

 

良かれと思い進んでる方向が間違っているということは少なくないので、肝心要なことは個人レベルで修正可能な環境を確保しておきたいものだ。