多様化する価値観は、人々を多様に分類し位置付ける。
分類の種類が増えれば増えるほど、その違いを表現するために便利なことばが日常会話に入り込んでくるようになる。
かつてはIT系の専門用語だったような気がするクラスタということばは今や日常会話に出てくるようになった。
表面的には多様化する価値観や、人の属性の細分化が、拡大するようになると、その違いや差異を表すことばとして使われるようになり定着したように感じられる。
クラスタということばが普及したことで、マズローの欲求5段階では区別されてる所属の欲求と承認の欲求が一体化したように感じられるようになった。
承認の欲求は、所属の欲求が満たされた上で求めるとマズローは位置付けたが、現代では会社に所属していても所属の欲求が満たされてるという感覚は希薄化してるはず。
会社や家庭というリアルな所属の場が、所属の欲求を満たせなくなると、所属の場としてのサードプレイスが求められるようになる。
サードプレイスは細く定義する必要はなく、欲求が満たせればどのようなものでもOKなのだが、コミュニケーションがあるコミュニティとはいえるだろう。
小さなコミュニティは、従来は物理的な距離と時間の壁が障害になっていたが、インターネットの充実は物理的な障害を取り払ったので、無数のサードプレイスが存在するようになっている。
逆にいうと、無数の需要と供給の関係が成立するようになっているのだ。
需要と供給の関係は小型化し縮小化するのは必然なのだろう。
NHK紅白歌合戦の平均視聴率が過去最低https://t.co/Ud0OP64O7f
— 共同通信公式 (@kyodo_official) 2020年1月2日
大メーカーの商品が売れないのはある意味当然の宿命と言えるだろう。
共感の輪は、大きなものから小さなものへシフトしてるのだ。
私ではないんだけど、旦那が、フェラーリだとかポルシェだのかのエンジン音を延々聞き続けるって動画を楽しく見てて、需要と供給ってすごいなって思ったよ。マニアックな琴線。 #Peing #質問箱 https://t.co/shQZqK3BwY
— Kaori Yamada PhD (@KaoriYamada01) 2020年1月3日
独占するとか大儲けするという価値観は、もはや楽しいものを産み出す力を持たないような気がする。
陽射しが降り注ぐ中で箱根駅伝を見てると、スポーツ番組のようでもあり、選手を通じて見る人間ドラマのようでもあり、沿道で応援する人や風景を見る環境エンタテインメントのようでもあり、長時間の映像付きBGMのようにも思えてくる。
おそらく視聴率は高いだろうが、決して見てた人が同じ思いで楽しんでいるわけではないだろうなと感じられた。