違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナがキッカケで起きる新陳代謝!

濃い味付けが好きな人が、ダイエットや生活習慣病予防のために塩分を控えようと薄味に転じようとする場合、2週間我慢して薄味を継続すると薄味派に転向できると言われている。

 

その理由は、舌の味を感じる味蕾細胞が10日ほどで新陳代謝で全て入れ替わるから。

 

10日〜2週間で、物足りなかった薄い味は普通になり、そうなると濃い味付けを不快にすら感じるようになるかもしれないし、相変わらず美味しいとは感じても常用する味付けではないと感じるようになるのは自然なこととなる。

 

 

人間の体に関する新陳代謝は部位によってその入れ替わり期間は異なるが、Wikipediaによると次のような例があげられている。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

「細胞の新陳代謝」の周期は部位によって異なる。

 

  • 胃腸の細胞は約5日周期
  • 心臓は約22日周期
  • 肌の細胞は約28日周期
  • 筋肉や肝臓などは約2ヶ月間の周期
  • 骨の細胞は約3ヶ月周期

 

細胞の新陳代謝が正常であれば身体は3ヶ月で新しく生まれ変わる。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

さて、細胞の新陳代謝と同じ扱いで生活習慣を見ることができるのだろうか?

 

コロナで東京マラソンの一般参加が中止が発表されたのが2月17日。

 

この頃からコロナは皆に関係するものになり始めたような気がする。

 

全国の小中高を一斉に3月2日から休校にすると発表されたのが2月27日。

 

小池百合子東京都知事が不要不急の外出自粛を要請したのが3月25日。

 

 

緊急事態宣言が7都府県に出されたのが4月7日で、その後順次拡大され全国的に宣言の対象になり、本日5月14日に最初の7都府県に含まれていた福岡県を除く6都府県(東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫)に京都と北海道を加えた8都道府県以外は宣言が解除されることになった。

 

 

個人差はあるだろうが、身も心も自粛を受け容れた期間は、短い人で1ヶ月、長い人だと3ヶ月に及んでいるのだ。

 

この期間が、なんらかの新陳代謝的な作用を心身に及ぼさないとは考えにくい。

 

一説には、生活習慣を変えるためには2ヶ月必要といわれている。

 

 

 

コロナ前の生活で、せっかくダイエットに成功していた方や、ダイエットの必要がなかった方の中には、コロナでの自粛生活でリバウンドしたり、ダイエットの必要がでてる方も増えている。

 

 

経済という側面だけを捉えたら圧倒的にリバウンドして元に戻りたいと望むはずだが、望まないリバウンドは簡単に起きるのに対して、望むリバウンドは望むように起こすことができるだろうか。

 

 

 

そして問題は、望むリバウンドが全体に及ぶのかということ。

 

 

 

今、世界的にはコロナに関してリバウンドというと、収束したかに見えたオーストラリアやドイツやフランスで感染者が増加の動きを見せてることだ。

 

 

望むリバウンドとは違う種類のリバウンドがこれ以外にも存在してるはずだ。

 

 

リバウンドという現象は、拡大解釈すると新陳代謝の一種だと捉えられそうだ。

 

 

コロナ前の生活が、濃い味付けの美食を楽しむようなものだったとするならば、コロナ後のベクトルはその反対に向かうはずだ。

 

反対をどう定義するかは人それぞれになる。

 

 

 

この数年間、NHKは年明けに『欲望の資本主義』と銘打った特集を続けている。

 

 

www.chigau-mikata.club

 

 

 

この番組を見ながらわたしはルネッサンスが必要だなと感じた。

 

この番組を見てる頃は、中国ではコロナの問題が起きていたのだが、世界はもちろんわたしもそのことには全く気付いてない時期だ。

 

それでもルネッサンスが必要だと感じた。

 

中世のルネッサンスは、ペストが流行した後に勃興している。

 

世界の人口が4億5000万人といわれていた時代に1億人が亡くなっている。

 

死者数だけを比べるならばまるで違うが、何故か似てるという思いが拭えない。

 

だからこそ余計にルネッサンスが頭から離れなくなる。

 

 

しかし現実のアートや音楽や演劇というルネッサンスで思い浮かべる馴染みの分野は、コロナの直撃を受けて青息吐息になっている。

 

それでも新しいルネッサンスが起きるのならば、アート全般の世界でも新陳代謝が余儀なくされてるということかもしれない。

 

そう考えると、現代のアートも生活習慣と同じく食事に例えるならば美食の側に寄り過ぎたとも見える。

 

 

最近ではコロナ離婚ということばもよく聞くが、これまで積み重ねた不満がキッカケでというよりも、自粛生活を通じて急速に価値観のズレに気付き、それに耐えきれなくなっての離婚だと感じられる。

 

 

コロナは、価値観の新陳代謝も促進してるように感じられる。

 

 

そう考えると、変化を楽しめる人にはおもしろい時代が始まりだしたような気もする。

 

コロナ前に大変なことがあると、『自分だけがどうして?』と被害妄想的になりがちだったが、コロナで起きた大変なことは程度の差はあっても万人が共有できる思いなので、気にしなければ良いだけなのだ。

 

 

これからさまざまな分野で新陳代謝が進むのだろうと思われるが、人間の身体の新陳代謝をイメージすれば分かるように、見た目の変化が劇的に起きるわけではないことが重要になる。

 

新陳代謝して変化する人も、新陳代謝できずに変化しない人も、外から見てると大して違わないのだ。

 

しかし、その違いが大違いになる。

 

 

そんな時代はすでに始まっている!