違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

欠乏感の正体も、『バカの壁』!

タイムラインを流れる二つの異なる話題を扱ったツイートを見て、これは結局同じことを意味してるんじゃないだろうかと感じた。

 

 

 

 

 

 

リンクされてる英文記事の中で、わたしの印象に残ったのは次の一文。

 

Scarcity, he believes, begets stress, which leads to bad decisions, which creates even more scarcity.

 

大雑把な意味としては、『(物質的、金銭的な)欠乏感がつくるストレスが、間違った判断を導き、さらなる欠乏を生み出す』と書いてある。

 

わかり過ぎるくらい当たり前のことだが、そのことを『だらしないから、怠け者だから』と置き換えて理解していたのだ。

 

そして、そのことと最初に紹介したツイートが結びつくと、欠乏感を煽る多弁な人物から、欠乏感を解消できるかのように装った方向へ導かれ、結果的に搾取されることによってさらに欠乏感を増大させることになる、この場合は欠乏感は物質的、金銭的を越えて信用や信頼も奪い、愛や心にも欠乏感をもたらす。

 

欠乏感が厄介なのは、自分の外側に原因があるようで実は自分の内側に原因があるからだ。

 

外部に対する欠乏感は、そのまま心の欠乏感なのだ。

 

 

 

 

欠乏感の原点には、人間同士のコミュニケーションがある。

 

コミュニケーションの原点には、『話せば分かる、分かり合える』という希望が前提として存在するが、それは同時に『暗示や錯覚』も生み出す。

 

『話せば分かる』と『暗示や錯覚』は結果的にすれ違いを生むのだが、欠乏感が生じてしまうとさらに『暗示や錯覚』を求めるようになるのは中毒や禁断症状を思わせる。

 

だから、そんな『暗示や錯覚』を巧みに利用しようとする人物が現れても全く不思議ではない。

 

 

投資や儲け話やお得話の周りには、暗示や錯覚を利用しようとする魑魅魍魎が罠を仕掛けている。

 

 

しかし、バカとハサミは使いようと言うように、『暗示と錯覚』も賢く使うことももちろんできるのだ。

 

 

 

 

SNSの普及で過剰にもてはやされるコミュニケーションだが、諸悪の根源でもあるのだ。

 

コミュニケーションを考える際に最初に願う『話せば分かり合えるかも』は錯覚で養老孟司先生の『バカの壁』では、「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。理解できない相手を、人は互いにバカだと思う」と説いている。

 

 

欠乏感の原点には、コミュニケーションを取ってはいけない相手とのコミュニケーションがある。

 

『バカの壁』の感度を上げて、コミュニケーションを取ってはいけない相手を見抜くことが欠乏感に苛まれないためには必要だ。