違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ストレス対策として身に付けるべき令和流の『お客様は神様です』!

日本流のガラパゴスと表現されることの多くは、悪い意味で日本流や日本的なものやことが世界に通用しないという意味で使われるが、そんな中で例外的に素晴らしいこととして取り上げられるのが日本流の接客や接遇の分野で、おもてなしなどと持て囃されている。

 

商売に関して日本ではお客様は神様ですという不文律があるが、そのせいで接客に従事する分野の方のストレスは昔から高かったのは、お客の側に神様扱いを求める人が多かったからだし、その気持ちに応える商売を展開する方が儲かるだろうという期待もあったからだろう。

 

そうなった由来には諸説あるがそこはどうでもよくて、現実に今でもそういうことが罷り通っていることが大きなストレスにつながっているということが問題なのだというつもりで、その解決の一助になりそうなことを書いてみたい。

 

 

お客様は神様ですという価値観から始まっているのだと思われるが、客と販売側のコミュニケーションにはすれ違いが多い。

 

昔話は省いて最近の話をすると、マナーや態度や言葉遣いがすれ違いの大きな原因になることが多いがそれ以外にも、お客の側は事前に下調べはいくらでもできる環境があるにもかかわらず下調べをしない人が増えていて、この下調べをしないの中には、調べたけどよく分からないも含んでいる。

 

一方、販売する側も売り方だけは分かっているがそれ以外の知識や経験が乏しい人が多く、特に商品知識が乏しい人が目につくようになっていて、商品知識が豊富でかつ上手にアドバイスできるコミュニケーション力も持ってる人となると非常に少数派となる。

 

 

こんな両者がコミュニケーションを取るのだからすれ違うのは当然だが、そこでまともにぶつかり合うと大きなストレスが生まれるのだ。

 

お客の側にも販売の側にもさまざまなタイプの人がいるが、ストレスが生まれる最大の原因は相手がバカに見えるからであり、バカとコミュニケーションを取らなければいけないことがストレスになるのだ。

 

さらにバカとコミュニケーションを取っていると自分のバカさも明らかになることがあってストレスの倍返しが起きることもある。

 

そんな場の多くはサービス業と呼ばれていて、サービスされて当たり前、サービスして当たり前、このような思いが交錯する場なのだ。

 

 

そして現代では、すべての産業がサービス業化していて、役所の仕事ですらサービス業だと呼ぶ自治体の長もいる。

 

そしてサービス業は接客業だと一括りにされることからストレスの大量生産が行われているのだ。

 

ストレスとは、本来は直接身に迫る危機や危険に対して生じるもので、今ならば大雨を警戒する気持ちに留めたいものだ。

 

 

 

だから、くだらない人間関係で生じるストレスで悩むことなど百害あって一利なしなのだ。

 

 

さて、そのための対処法だが、対峙した相手がバカだと思ったら、相手を見下すことが大事になる。

 

もちろん、見下してることを顔の表情や態度に出してはいけないのは言うまでもない。

 

今ではサービス業に括られている病院の中でも規模の大きい病院ほど外部コンサルを招いたりして接遇研修に余念がないのだが、これがストレスになってるドクターが多いらしい。

 

自分のことを優秀だと自負してるであろう分だけ余計に相手(=患者)のバカな反応や要求に日々ストレスを感じてるらしい。

 

 

以下は一部の医者のストレス対処法らしいが、患者とは機嫌が悪くて泣いてる赤ちゃんみたいなものだから、いかに機嫌良くさせて気持ちよく帰ってもらうかにエネルギーを注ぐらしい、それができないとおもらしをしたりしてその世話までしなければいけなくなるからだ。

 

ストレスの元が接客に伴う人間関係にある場合は、相手を正しく見下すことが大事になる。

 

間違っても、お客様を神様だと思ってはいけない。

 

お客だからといって、なんでも通用すると思ってはいけない。

 

 

 

レベルが低いのに一応神様だから粗相があってはいけないと思うから、ストレスになるのだ。

 

相手を見下しながらも気持ちよく帰ってもらうために神様扱いするプレイだと思い、そんな役を演じれば良いだけだ。

 

 

そのためには、相手を正しく見抜くということが必要になるが、これは特別な才能が必要なわけではない。

 

お客の望むことを聞けば良いだけだ。

 

自分が望むことをきちんと表現できる客の扱いは難しくないが、それに応えられるだけのものがこちらにも求められる、この手の客は見下しの対象にはならない。

 

見下すべきは、自分が望むことを表現できなかったり、無理難題を言うだけの客だ。

 

逆に言うと、客が望むことをきちんと伝えているのに、それは決して無理なことではなさそうなのにその内容を理解できない場合は、見下されても良いから客に教えてもらうという態度で接すれば客のストレスが上がらないかもしれない。。

 

 

お客様は神様ですと言う表現を使う場合、見下すのはお客の側というのが相場だったが、令和のストレス対策ではお客もTPOに応じて見下される存在にならざるを得なくなる。

 

こうやって書きながら思い出したが、高級なブランドショップでは店員が客を見下すことが多かったような気がするが、そういう見下しではないと思っていたら、わたしには敷居が高かったブルックスブラザーズが倒産というニュースが流れていた。