違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

日本人の生き方のベクトルは変化するか?

コロナウイルスによる休校やイベントの自粛が及ぼしてる混乱は、流れがいきなり堰き止められたようなもので、堰き止められたのは予定や計画だ。

 

予定や計画といっても、未定の話ではなく、決定されていた話だから混乱が起きているのだ。

 

予定や計画を前もって確定させようと思うと、必要な手配を先に押さえるために『ヒト、モノ、カネ』が動くので、予定は予定通りに、計画は計画通りに、進んでくれないと困ったことになる。

 

予定や計画が、意図したように、企画したように、進まない時に備えて保険を掛けるが、この保険自体も予定や計画で動いているのだ。

 

本音では、明日のことは明日にならなければ分からないと、分かっているはずなのに、現代人の生き方は予定や計画は立てた通りに実現されないと困ってしまうようになってしまった。

 

地震や津波や台風も予定や計画を狂わせるが、目の前で起きてる現実が、そんなこと言ってる場合じゃないと分らせてくれる。

 

しかし今回のコロナウイルスは、目の前で何かが起きているわけではない。

 

強いて言えば、お化けが出るらしいよ、悪霊に祟られる人が出てるらしいよ、という話と大して違わないようにも思える。

 

お化けや悪霊に祟られたくなければ、キチンと御祈りしてお祓いを受けなければいけないと言うのとほとんど同じだと気付く。

 

天災や厄災は、人間の手の届かないところで発生することが多いが、一度起きると、天災や厄災は人災にシフトすることが多い。

 

だから最後は、一番怖いのは人間だと言われるようになる。

 

 

今は、予定や計画を狂わされた人々の不満や怒りや戸惑いがニュースや話題になっているが、予定や計画を立てずにその日暮らしで生きてる人々にとっては、なぜ大騒ぎしてるか不思議に感じているはずだ。

 

予定や計画を立てない人が好むことばに『明日は明日の風が吹く』がある。

 

 

明日は明日の風が吹く、と検索したら出てきたものに3日前のものだが次のニュースがあった。

 

 

現代人は、明日吹く風も予定に含めて行動してるのだと改めて分かると、不思議を通り越して滑稽にすら思えてくる。

 

 

写真家で『群集』をテーマの一つとして扱っている土田ヒロミさんは2005年に出版した写真集の中で、

 

『昭和の「群れ」とは変質してきている平成の「群れ」のかたちに気付き出します。一つのベクトルの方向へ動くことがなくなった群れ、互いに距離をとって群れる姿が見えてきたのです。』

 

と指摘していた。

 

 

継続的に観察をしていれば、令和になった現在の日本人のベクトルの変化はどのように映るのだろうか?

 

豊富な知識で武装してるが、ベクトルはそこには働いてないように感じられる。

 

予定や計画に従いリスクヘッジは保険で対処するという生き方が通用しなくなってるように思える。