人生には折りに触れて選択を迫られる機会が多い。
正解はどっちだ?、得なのはどちらだ?、とその都度悩むはずだが、悩んだ挙句に選択した後で、後悔を迫られることがあるのは人生の皮肉なのか、それとも人生とはそういうものなのか、と考えさせられることはたくさんある。
達観すると次のように総括するのかもしれない。
いいこと、悪いことは、コインのように、常に表裏一体を成している。表も裏も幸せでできたコインはありません。生きることには死ぬことが、深い喜びには深い悲しみや苦しみが、光には影が、必ず対になっているのです。それは常にひとつの中にあり、いつどちらに転ぶかは、誰にもわからない。
— 美輪明宏bot (@_miwa_akihiro) 2020年10月2日
さて、こんな書き出しで始めた理由は、次の記事をどう解釈すれば良いのかを考えたからだ。
完済は平均73歳 住宅ローン、定年後にリスク先送りhttps://t.co/9L4zYK3U14
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) 2020年10月4日
これから未来に向かう時は、誰でもその人なりに未来を予測するはずだ。
そんな予測に対して自信があろうが無かろうが、所詮当たるも八卦当たらぬも八卦なのだが、一定時間が経過して過去を振り返ると、『当時は見えなかったが、なるほど、時代はこう進んだのか』と気付くことは多い。
残念なことに、そのような流れを踏まえて改めて未来を予測しようとすると、結局当たるも八卦当たらぬも八卦に終わるものだ。
個人的な意見としては、日本人がお金に関して損をしたくないという意識を強くしたのがバブル崩壊以降だと感じる。
資格としての宅建取引主任者が再度注目され出したのもバブル崩壊後だったように感じるし、新しい資格としてのファイナンシャルプランナーが生まれたのもこの時期だ。
わたしは宅建は取得し、ファイナンシャルプランナーは資格は取らなかったが勉強はした。
どちらも公的制度を熟知することで損をせずに得をしようということを目指すもので、税制や年金の仕組みや公的な助成を戦略的に活用しようとするもので、制度は維持され持続することが大前提だった。
民間の保険会社と国という公的な保険システムのどちらを信じるかという選択を突きつけられていた。
いや実際には、民であろうと公であろうと保険という相互扶助の理屈は成り立つのか、それとも成り立たないのか、という選択でもあったと思い出される。
冒頭で紹介した住宅ローンの完済の平均が73歳という事実は、いろんなことを天秤にかけ比較した結果の選択のはずだ。
住宅ローンを選ばなかった多くの人は、おそらく住宅ローンを組まなかったのではなく、住宅ローンが組めなかったという人が多いだろう。
損をしたくない、得をしたい、と考えるのは自然なことかもしれないが、現実には得をしたつもりが損だったや、損をしたと思っていたところが得をしていた、となることも不思議なことではない。
住宅ローンと同じ理屈が、インバウンドや東京オリンピックに投資していた人たちにも当てはまっているだろう。
予定や計画は未定に過ぎない、という現実が『倍返し』をし始めたように感じられる。
大盛りの料理を食べることは得だろうか?
おそらく意見は大きく分かれるだろう。
どちらを選んでも、それぞれに正当な理由をあげるだろう。
それらの一つ一つは決して間違っていないのに、全部の両立ができないだけ。
生きてる人には分かりにくいかもしれないが、死ぬ時にはプラスマイナスゼロという考え方は、案外正しいのかもしれないとするならば、予定や計画よりも今を優先するという生き方も立派な選択肢になりそうだ。