コロナが流行する前、所有という概念がだんだん価値を弱めていた。
いつの頃からかシェアという考え方が広まる兆しを見せるようになり、所有から共有へのシフトが感じられるようになっていた。
所有というのは、元々は現金の一括払いと引き換えで実現するものだった。
だから、欲しいものがあれば、その価格分のお金を貯めなければいけなかった。
コツコツ働きコツコツ貯めるという文化は、このように生まれたはずだ。
しかし、徐々に一括払いでなくても擬似的な所有ができる仕組みが普及するようになった。
コツコツ貯めていた行動を、コツコツ返済するという行動に変えることで、生活を大きく変えることなく、欲しいと思った瞬間に所有が叶う仕組みが出来上がった。
この仕組みには少しばかりの落とし穴がある。
コツコツ貯める総額よりも、コツコツ返済する総額の方が金利が課される分かなり増えることだが、一回あたりの返済額が負担感がないように設定される。
この負担感を感じないことが落とし穴で、大前提として明日も明後日も今日と同じか、もっと良くなるという自信を持っていなければいけないことだ。
落とし穴に落ちたことをどのタイミングで気付くか?
これは、個人差が実に幅広い。
しかし、コロナが登場し長期化の様相を呈し始めると、落とし穴に落ちていたことに気付く人が一気に増え出したのだ。
最初に聞こえた声が『家賃が払えない』だったような気がする。
賃貸物件に住むことが落とし穴だなんて思わないが、家賃の設定に関しては落とし穴があったかもしれない。
今は世間や社会が普通の状態ではなくなっているが、普通ではないからという理由で免罪符は得られていない、これが落とし穴の怖さだ。
〜〜以下引用〜〜
シンガー・ソングライターの山下達郎(67)が29日、レギュラー番組のTOKYO FM「山下達郎のサンデー・ソングブック」(日曜午後2時)で、新型コロナウイルスの感染拡大防止について聴取者に「頑張ろう」と呼び掛けた。
冒頭、「全世界的に大変なことになってまいりました。もうこれは完全にですね、戦争状態だと思います」と危機感を吐露。スーパーマーケットの行列の映像を見て「75年前の敗戦後の買い出し列車を思い出します」と話した。
https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020032902100053.html
人間や生命体に限らず、地球上の活動は全て循環の上に成り立っている。
そういう循環が成り立つことを英語ではsustainability(持続可能性)と呼ぶが、コロナの長期化の兆しは、コツコツ返済するという循環を断ち切るような動きを見せ始めた。
21世期に入り雇用の不安定が当たり前のリスクになりだすと、住宅ローンといえども長期間の返済で組んではいけないと言われるようになっていた。
それは、長期にわたりコツコツ返済するというのは楽観的な見通しの上にしか成立しないからだ。
このくらいは行けるだろう!
このくらいは大丈夫なはずだ!
みんなやってることだから!
コロナが壊してるのは、楽観的過ぎたであろうことで、家計に直結するような経済的なことが目立っているが、命に関することも象徴的な出来事が出てきた。
【志村けんさん死去 持病なし】https://t.co/SnWxxH6AaW
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2020年3月30日
志村けんさんがコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。「基本的に通院するような持病もなく体調は良かった」という。
コロナの陽性反応が出てあっという間に亡くなられた志村けんさんだが、おそらくその治療はあらゆる意味で今の日本で受けられる最高のものが施されていたはず。
特に持病はないと言われる志村けんさんだが、喫煙と飲酒のリスクを指摘する声は多かった、数年前に肺炎を患って以来禁煙してるという話もあれば、最近まで喫っていたという噂も聞こえる。
ここにも大いなる楽観であり油断が見える。
楽観的であることが悪いのは、それだけだと油断になるから。
楽観的であることを有効に機能させるためには、悲観的な発想も常にセットで持ち合わせることだ。
楽観的なだけだった人には、辛い時期が続くだろう。