違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

自責vs他責!

5月14日に39県での緊急事態宣言の解除が発表された。

 

この報道を受けての街の声を取材するニュースを見ていて気になった共通する声に、『万が一コロナに罹ったら会社に迷惑をかけてしまうのでこれまでの自粛生活を継続します』というものがあった。

 

“会社”の部分を、自分がピンとくるものに置き換えれば多くの人に当てはまる心理なのではと思えた。

 

細菌としての恐ろしさから始まったコロナ禍だが、自粛が続くなかで恐れるものがコロナそのものよりもコロナを取り巻く世間の空気に静かにシフトしていたのかもと思えた。

 

志村けんさんや岡江久美子さんのように象徴的な死もあったが、表に出てくるデータからすると日本では一部の国のように身近に死があったわけではない。

 

それなのに自粛は徹底されていたように感じられる、目標の80%に満たないと伝える報道も目についたが、強制ではない要請に対しての反応であることを考えるとよくできたものだと思う。

 

 

直接的に『コロナが怖い』と言ってた人たちの指すコロナが、コロナを取り巻く世間の空気にいつしかシフトしていた背景には、出す出すと言ってるのに遅々として進まない給付金や助成金の存在も大きいはずだ。

 

 

このようなことを考えていたら、これって車と事故と保険の関係に似てるなと思った。

 

事故を未経験で、他人の事故も起きる瞬間を直接目撃したことがない人が、車を所有して運転する場合、事故は起こさないと思いながらも起きたら大変だから保険には入るが、イメージする事故にはリアリティが不足してるだろう、だから心のどこかでは事故を恐れてるのだが、自分なりにTPOをわきまえて運転を楽しもうとするだろう。

 

そんな人が、事故の当事者体験をすると、あるいは目の前で事故を目撃すると、それまでTPOをわきまえれば事故は防げると思っていた気持ちは弱々しくなり、自分だけが気を付けていても事故は防げないと気付く。

 

事故の当事者体験をして、その処理に保険を使う場合二つのことに気付くことが多い。

 

出ると思っていた金額に満たない額しか出ない。

 

保険金を受け取るまでの期間が長い。

 

 

昔は事故成金ということばどうり、事故がキッカケで金回りが良くなる人がいたが、21世紀では望むべくもない。

 

これらを実感を伴って気付くと、事故は絶対に起こしてはいけないとなる。

 

そのためには運転を楽しもうと思う気持ちそのものが危険だと気付く。

 

そして、事故を起こしても保険に入ってれば大丈夫だと思う気持ちも錯覚だったと気付くだろう。

 

保険は自分が良い目に合うためのものではなく、破綻を防ぐためのものだと気付くはずだ。

 

さらにもし事故が人を巻き込むものになれば刑事事件になるので、金で解決できる民事事件では済まなくなる。

 

 

一般的には、失敗や反省から導かれるのは自責の念。

 

行き過ぎた自責の念はネガティブ指向になるので良くないが、反省が反省として機能するためには自責は無視できない。

 

 

今回のコロナ禍で芽生えた当事者意識は多くの反省や自責を生んでいるとするならば、簡単には拭えないはずだ。

 

コロナで直接ウイルスの恐怖を受けなかった人にも、擬似的な当事者意識は避けられないトラウマになったのだろうと思える。

 

 

そうなると、もう簡単には元には戻らなくなる。

 

 

ところで、おもしろい記事があった。

 

アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

―――私たち一人ひとりは、何をすべきでしょうか。

 

今回の事態で、日本人の本音に触れた気がします。冷静に見えて他人へのいらだちを募らせていたり、堅い職業の人が、歌舞伎町やパチンコ店でこっそり気分転換したり、表と裏の二面性がある。プレッシャーの強いストレス社会なのでしょう。また「自分ではない誰かがしてくれる」気持ちが強い。サービスが整いすぎているのが日本の弱さで、知恵や能力を使う機会がなく、自ら考えて動くのが苦手で他責傾向がある。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

 

指摘されてるような傾向は、強くなるのだろうか、それとも弱くなるのだろうか?

 

 

以前は何も考えてなかった人たちの多くが、いろいろなことを考えているような気がする。

 

その結果が元には戻らないという選択だとしたら、元に戻したいと望む人は反撃を企てる。

 

 

 

 

 

これはこれで他責行動だというのが奥が深いと言えそうだ!

 

 

同じようにコロナの影響を受けていても、その受け止め方には自責と他責がある。