違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

消えた客が伝えること!

3月27日にトヨタが1兆円の借り入れ枠の設定を要請と報じられた。

 

トヨタ、大手2行に1兆円の融資枠要請 3/27(金)

 

キャッシュで5兆円を保有し無借金経営を誇っていたトヨタですら、この時期にこんな話題が出るということはコロナの影響なのだ。

 

 

この記事の分析によると(詳しくは記事を読んでください)、トヨタの純粋な余力は2〜3兆円で、1ヶ月分の売り上げがまるまる吹き飛んだら現金余力はゼロになるらしいのだ。

 

日銭ビジネスがダメージの直撃を受けてることは誰の目にも明らかだったが、通常は日銭ビジネスとは呼ばれてないビジネスも、日々の積み重ねの上に成り立ってるという意味では結局日銭ビジネスだったということだ。

 

そうすると、日銭ビジネスから切り離されたように見えるのは、定額のサブスクリプションで展開されるようなビジネスで昔ながらの生命保険や損害保険もこれに該当するだろうが他にも電気やガスといったエネルギーや水道などの重要インフラの場合は、データが開示されるまで時間差が出るのでこれからだが、どういう影響が出てるのだろうか。

 

インターネットなどの通信は、テレワークなどもあり基本は使用量に関しては増加傾向なのだろうと思われるが、日銭ビジネスとは思われてないビジネスにもピンチは忍び寄っているのだ。

 

一足早く問題が顕在化したのは家賃ビジネス。

 

日銭ビジネスへのダメージは、そこで働く従業員だけでなく店舗そのものの家賃すらピンチに陥れている。

 

サブスクリプション型のビジネスには、新規の顧客獲得が困難という以上に解約や支払い不能という事態が迫り始めているのだ。

 

客が消えたことで、成り立っていたことの多くが連鎖的に成り立たなくなっているのだ。

 

大災害や戦争が大きなダメージを与えるのは視覚的なアピールを大きいので納得しやすいが、目に見えないウイルスがこれほどのダメージを与えるとは予想もしてなかった。

 

安定を求め強固に社会基盤が整備された現代社会を、コロナがここまで狂わせることができたのは、ほぼ全ての人に等しく恐怖を持たせることに成功したからだ。

 

小規模な日銭ビジネスが壊れると、強固な大企業のビジネスの屋台骨にもヒビが入るということは、社会の問題に見えることは全て個人の問題に端を発すると言っても良さそうに思えてくる。

 

コロナの問題は個人レベルでの対処を越えて社会問題と化したので、その対策を国に求める声が多いが、こんな時こそ個人レベルでの対応や対処が問われているのかもしれない。

 

志村けんさんが亡くなられたことはコロナの恐ろしさを象徴してるが、個人的にはコロナ以前に過度な飲酒と喫煙で免疫力を落としていたことこそが問題だったのだと思っているが、世間の多くは十把一絡げにコロナのせいにしている。

 

 

トラブルが起きたときわたしには二つのストレスが掛かる。

 

一つは、トラブルへの対処のストレス。

 

もう一つは、感情のストレス。

 

トラブルが起きたときは、この二種類を区別してない(できない)人は多いだろうなと感じられる。

 

この二つを区別できてないと、発生したトラブルをキッカケに次から次に悩み事が増えてくるように感じられる。

 

極端にいうと、生きることに少しも楽しさを見出せなくなるほどに。

 

これはトラブルが遊びや趣味のレベルであってもだ。

 

このようなことを何度か経験することで対処と感情の二種類のストレスに分類できることに気付くようになる。

 

そういう意味では、トラブルは取り返しの付く範囲で何度か経験することは人生には大事なことだと分かる。

 

しかし、トラブルの発生によるストレスを自力で解決するという体験が少ない、もしくは全く無いという人は、現在のコロナ関連で発生してるさまざまなトラブルに対して大きく混乱してるだろう。

 

 

クルマの運転に例えるならば、アクセルとブレーキとハンドル、この三つをコントロールすることで安全や安心を保つのだが、これだけでは100%は達成できない。

 

事故を起こさない、事故に巻き込まれないためには、事故に近づかないために第六感を研ぎ澄ます必要がある

 

対処のストレスと感情のストレスを上手に処理するためには、クルマの運転と共通した判断が求められる、それはテクニックとしての上手い下手ではない。

 

重要なことは楽観と悲観の使い分けだ。

 

 

『危機管理の基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること。』

 

とは、

 

今は亡き初代内閣安全保障室長だった佐々淳行さんのことばだ。

 

 

 

 

コロナ前には、アクセルを踏んでばかりの人と、ブレーキばかりを踏んでいる人に極端に偏っていたように感じられる。

 

つまり、高速道路を走っている人と、渋滞路を走ってる人に分かれていたのだ。

 

コロナはアクセルばかりを踏んでいた人にブレーキをかけさせてしまったのだ。

 

その結果、全員がブレーキをかけてしまったのが今だ。

 

さて、多くのクルマが止まってしまったが、これが長期間に及んだ時にどうなるのだろうか?

 

再び走り始めるのか、それともクルマを捨てて次を考えるのか?

 

 

まだ誰にも分からない。