コロナウイルスの検査数を増やすと医療崩壊につながるのはなぜか?
イタリアやスペインでの例にも共通するが、医療態勢が日常業務のキャパシティに合わせて組まれてるからで、余剰はせいぜい救急医療に対応できる程度だから。
そこに、コロナのように一気に対応を望む人が増えると現場がパンクする、それが医療崩壊につながるのだ。
では、そんな態勢が組まれているのはなぜかというと、合理化、効率化、グローバル化などの価値観が浸透した結果だ。
物づくりの世界では、部品の在庫を持たないようにしたオンデマンドのシステムが浸透してるが、今回のコロナ騒動はそんなシステムも壊している。
つまり、合理化や効率化は安全や安心のマージンを削っていただけなのだ。
こうなることを予想するかのような発言が昨年の4月に参議院でされていた。
田村智子議員も警告してくれてたのにね…
— ponky2019 (@ponky2019_0721) 2020年3月28日
これは安倍内閣の致命的失策でしょう。メディアよここを突け。
pic.twitter.com/55neOoTshJ
〜〜一部引用〜〜
感染研の予算そのものが削減されてます
10年前の水準から比較すると3分の1減ってるわけです
麻疹、風疹、梅毒などの再流行が国内で見られます
国境を越えた人とものの移動はますます拡大していて
新たな感染症が持ち込まれる、こういう危険性に対する
対策も不断に求められるわけです
この体制が弱体化すれば国民の生命や健康への重大な脅威になる
その危機感を私は強めざるを得ません
〜〜引用ここまで〜〜
今起きている事は、十分予想の範囲内のことで、分かる人には分かっていたことであるとともに、10年単位の時間をかけて行われたことの結果なので、問題が顕在化してから対応対策しようとしても無理なのだ。
羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くということわざがある。
今回の反動が裏目に出ることも次の段階では心配しなければいけないかもしれない。
医療システムや健康保険のシステムが充実してるせいで、健康であることのありがたさを過小評価してたとするならば、それは個人のせいでもある。
おそらくピンからキリまで意見も考えも分かれるのだろうが、生き方も考え方も健康でなければ生き辛い時代に急速にシフトするはずだ。
病気になったら病院に行けば良いだけだから、好きなことだけやるのが一番だというような生き方が通用しなくなるはずで、その種の人を相手にしていた商売やビジネスもジリ貧になるはず。
コロナが収束したら、元に戻るだろうと思っていると大間違いかもしれない。