パフォーマンスや結果を重視する分野では、機能的であることが求められる。
例えば身体一つで勝負するスポーツの世界では、ウェアやギアや道具など、着用したり装着したり使用するモノ選びは重要になる。
モノ選びで重視される要素には次のようなものがある。
- 形やデザイン
- 材料や材質
- 寸法やサイズ
さらに本来の機能に加えて付加機能を与えようとするモノや道具も出てくるが、そのようなものは一時的に注目されて独占的な動きを見せるが、時間差で淘汰される傾向がある。
どこか本来のスポーツの趣旨と一致しないからだろう。
シューズのアウターソールに特殊な仕掛けがあるとドーピング的だと判断されるが、インソールを足の形にピタリと合わせることやその他の工夫を加えることは正当なことだとされる。
重要なことは自分の身体に合わせることで、それができればそれだけでパフォーマンスは上がるのだが、ここに大きく介入するのが煩悩。
お手本にしてる人や理想にしてる人や憧れてる人に、モノ選びも身体の使い方も合わせてしまいがちになる。
良いお手本を模倣することの良さは上達の速さにあるが、その先にある壁に直面して以降は、模倣で到達できる領域は低いものになる。
それは、どこか自分に合わないから。
そこで自分に合う合わないということに、自分で気付けるかどうかが分かれ目になる。
その後自分に合うということがどういうことかに気付ければ、模倣ではないオリジナルに近付いて行けるのだが、模倣以上を目指す人が少ないのは情報化社会の落とし穴だろう。
自分にとって役に立つであろう情報よりも、有名人を含めてネームバリューのある人に関連した情報の方を優先しがちになるという落とし穴。
スポーツ分野の話だとするとすんなり伝わるのは、一人一人の身体は同じように見えても全く違うと理解してるから。
しかし別の分野、ビジネスや投資に関しては模倣による結果の再現性にはあまり疑問を持たない。
『あいつにできることが俺にできないわけはない』と。
足りないモノがあるとするとコネや資金だと思いがち。
だから人脈というワードに惹かれるし、どうせ結果が出ればあっという間に返済できるのだから奨学金や借金を厭う必要はない、と考えがちになる。
情報化社会の最大の落とし穴は、自分自身以外の情報ばかり集めることにある。
あくまでも肝心なのは自分自身なのに。