もう1ヶ月前の話になるが、コロナが猛威を振るい始めた韓国では珍事が起きていたらしい。
新型コロナによる珍現象…韓国内の不法滞留者、自ら名乗り出て出国申請ラッシュ=韓国の反応
〜〜以下引用〜〜
この日午前、多くの不法滞留者が押し寄せ、済州出入国・外国人庁を取り囲んで建物が包囲されたようだった。
これまで見つけるのが難しかった中国人不法滞留者たちが済州を抜け出そうと、大挙して押し寄せた。
〜〜引用ここまで〜〜
コロナは、人間の日常を大きく変えているが、人間とともに共生してる生き物にも変化を与えているのだ。
3月中旬から休館になったシェッド水族館では、人がいなくなった館内をペンギンに探索させたらしい(=自由に歩かせた)。
この動画は見る価値あります。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、休館しているアメリカ・イリノイ州シカゴのシェッド水族館。お客さんがいなくなった館内を、のびのび散歩するペンギンたちの姿が話題を呼んでいます。
— BuzzFeed Japan News (@BFJNews) 2020年4月2日
シロイルカたちも、野生では遭遇することのないペンギンに興味津々です🐧🐬 pic.twitter.com/rnKcKkoEG7
コロナが原因となって巻き起こす珍事は、コロナが馴染みのない異分子的な存在だからで、共生する相手になっていないから。
亡くなられた志村けんさんは入院前に家政婦さんに「犬の世話を頼む」と伝えていたらしい、もしかしたらその時点では自分のことより犬の方が心配だったかもしれない。
最近では、ベルギーや香港で人(飼い主)からペットへのコロナ感染が確認されたというニュースが流れていたりする。
犬やネコのようなペットですら途中で飼育を放棄する人は後を絶たないが、好き嫌いはあっても、人間が犬やネコと共生してることに疑問を持つ人はいないだろう。
同じことは家畜全般にも当てはまるだろうし、動物園や水族館の生き物にも感じる人はいるだろう。
感情を抜きにすれば、野生動物としてイノシシを例にあげると、おそらく圧倒的に嫌われているだろうが、自然界という枠の中では共生せざるを得ない相手と認識してるだろう。
害虫や細菌だって、対策を意識してるものは、共生せざるを得ないと認識してると言えるだろう、インフルエンザのように。
しかし、コロナはまだ共生相手としての要件を満たせていないから世界が大混乱になるのだ。
こういう風に考えていると、共生の反対語って何だろうかと思う。
〜〜以下引用〜〜
【自存】=他に頼らず、自力で生存していく事です。
また、【寄生】という言葉は、【共生】の類義語でもあるし、ある意味で対義語でもあると思います。
〜〜引用ここまで〜〜
人類は、コロナと共生することを選ばざるを得ないとするならば、共生のための要件とは何になるだろうか?
その答えやヒントが明確ならば、すでに伝わって来てもおかしくないだろうから、伝わって来ないということは、要件が不明だからだ。
最近は、何かにつけてエビデンスが求められるが、どんな分野でも最先端にはエビデンスなんて存在しないのだ。
必要なのは試行錯誤で、試行錯誤するには知恵が必要になる、知識ではない。
共生に関しての知恵をTwitterから拾ってみた。
「サルと人間の共生」を謳う地獄谷野猿公苑。但し、野猿への餌付は固より接近接触も禁止の対象。「The monkeys will never trust you」との注意書き。相互交渉や理解は共生の要件を構成せず、むしろここでは適切な距離感こそが重要?(あるいは、想定された共生は観光客を包摂しないとの解釈も可能。) pic.twitter.com/hFoKZl0aCD
— 北口・智章 (@Kitaguchi_T) 2019年2月20日
しれ(8)つまり、紳士とレディーは、合わせ鏡のように、共生する存在である。紳士は、経験や余裕に裏打ちされた忍耐強さを持っている。そんな紳士が、ある女性に対してレディーとして接すれば、その女性はレディーとなる。そこには、お金や服装、社会的地位に関する要件があるわけではないのだ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2012年6月10日
コロナと人類の共生を考えようとすると、途中から日本政府と日本国民の関係に似てると感じてきた。
日本政府が打ち出した『マスク2枚政策』は、日本政府には日本人は共生してる相手と見えてるのではなく、日本人は政府に寄生してると見えているのだろう。
そう考えると、日本政府の対応は全て『そりゃあそうだろうな』と思えることばかりだ!
人類がコロナとの共生を確立するのと、日本政府が日本国民を寄生する存在として見ることをやめるのは、どちらが早いのだろうか?