違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナ後は『上書き保存派』の方が『フォルダー保存派』より生きやすいかも!?

使い勝手に満足してようと不満であろうと、モノやシステムは緩やかな時間の流れの中では、改良や改善が施され少しずつ変化するもので、中には改悪と思えるものも出てくる。

 

モノやシステムを使う側にとっても、使い方や技の熟練度にも変化が生じるので、同じように使っているつもりでも無意識のうちに変化が生じることはある。

 

 

細部に目を凝らすと万物は常に変化してるのだが、その変化を感じ取りどう受け止めるか、あるいはできないか、生きるということはそういう選択を常に突きつけられている。

 

変化は前向きなものだけではない。

 

覆水盆に返らずとは、溢れた水は元に戻せないという意味で、そこから転じてモノだけでなく人間関係などが壊れた場合は(簡単には)元には戻らないという意味で使われるが、現代だと、修理や復元すればまた使えるや、だましだまし使うこともできると考える人もいるだろう。

 

修理や復元したものや、だましだまし使う状態は、元の状態とどう違うのだろうか?

 

 

おそらく、表面的な見た目や形がほぼ同じであれば、元の状態として合格点を付けるだろう。

 

 

 

ゆく河の流れは絶えずして、

しかももとの水にあらず。

 

 

理由は何であれ、結果としてコロナウイルスは人間社会に大ダメージを与えている。

 

コロナ前に、どのような未来を描いていただろうか?

 

平凡で良いから今(コロナ前)の状態が続けばありがたいと思っていた人は、ささやかな望みのつもりだったそんなことが今(現在)は夢物語に思えているはずだ。

 

逆に、大きい事をやってやろうと思っていた人は、案外簡単に路線変更ができているのかもしれない。

 

 

いずれにせよ、今コロナ絡みで起きている事は、恋愛で言えば突然の別れを切り出されたような状態なのかもしれない。

 

 

こんな時は、男性と女性で反応が違う、コロナが話題になる前の今年の1月にこんなブログを書いていた。

 

 

www.chigau-mikata.club

 

 

恋愛に関しては一般論として、男性が『フォルダー保存派』でいつまでも未練を引き摺るのに対し、女性は『上書き保存派』で過去は綺麗さっぱり忘れて未来に向かうと言われるが、今はコロナのせいで、今後の人生について多くの人が悩んでいるのだろうが、この場合の悩み方にも『フォルダー保存派』と『上書き保存派』に分かれるのだろうなと思えるが、男女の違いでは語れないはずだ。

 

 

 

両派共通して、一旦は目の前からいなくなったお客や需要に失望するだろうが、その後の振る舞いには大きな差が出る。

 

 

フォルダー保存派はいなくなったお客や需要という幻影を追いかけ、上書き保存派は新しいことに目を向けようとするだろう。

 

 

その際に、手かせ足かせになるのがお金だ。

 

すでに投じた費用や残ってる借金ゆえにフォルダー保存派を卒業できない人は少なくないはずだ。

 

これは恋愛に例えるなら、貢いだお金に相当するだろうか。

 

貢ぐというと男性が浮かぶが、実際には男女平等に起きている。

 

 

 

 

 

 

現在継続中の自粛もいわば貢ぎのようなものだと思える。

 

 

これだけ貢いでいるのだから、元を取らねばと意識はフォルダー保存に向かいやすくなってるはずだ。

 

 

 

 

自粛が解除された時に何が起きるのだろうか?

 

 

世間の空気はどのように変わるのだろうか?

 

 

現在、自粛にも関わらず好きなことをしてる人は非難されながらも一定数いるのを見ると、彼等彼女らはおそらくフォルダー保存派なのだろうと思えてくる。

 

自粛に応じてる人の中には、そんな人達が羨ましいと思っているかもしれない、そんな人もきっとフォルダー保存派に近いだろう。

 

しかし、それ以外の人たちはどこかでもう元には戻れない(戻らない)と覚悟に近い思いを持っているだろう。

 

フォルダー保存派の総数が多ければ世の中の変化のスピードにはダイナミックさは出ないだろうが、それでも緩やかにでも変化は避けられない。

 

そして、もし上書き保存派が多いならば、フォルダー保存派は世の中の変化に対応し適応することができないか、遅れることになるだろう。

 

 

どちらにしろ変化は避けられないとするならば、上書き保存派という生き方の方がコロナ後(共生を余儀なくされるとしても)の人生を楽しめる気がする。