違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

賢者は正論言わず!

岡村隆史さんのラジオ『オールナイトニッポン』での発言が炎上している。

 

この炎上のおもしろいところは、ラジオを聴いていたリスナーが怒って炎上したのではなく、この発言をネタにした記事から着火したのだ。

 

 

 

 

岡村隆史、風俗を自粛「神様は乗り越えられない試練は作らない」 4/26(日)

 

〜〜以下引用〜〜

 

 

リスナーからの「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない?」とのメールに岡村は、

 

 

「今は辛抱。『神様は人間が乗り越えられない試練は作らない』って言うてはりますから。ここは絶対、乗り切れるはずなんです」

 

 

「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんです」

 

 

「収束したら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」

 

 

「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働いてパッとやめます」

 

 

「『え? こんな子入ってた?』っていう子たちが絶対入ってきますから。だから、今、我慢しましょう。我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3カ月のために頑張って、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう」

 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

この記事は、決して岡村隆史さんを非難しようとして書かれたものではなさそうに感じるし、ラジオを直接聴いていた方たちももちろん怒っていたわけではないだろう、もともと深夜ラジオは昼間だと顰蹙を買いそうな話題に触れるものなのだから。

 

それ故に、太陽の下だと憚られる本音が出るのは、昔からだった。

 

上記の記事でも、本当に取り上げたかった部分は次のことばだったはずだ。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

 

「俺なんか、絶対気をつけとかんと。もし僕が(新型コロナウイルスに)感染したら、『絶対、アイツ五反田(の風俗店)行きよった』ってなるやん。そこは歯を食いしばってアレ(我慢)するしかないから」

 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

と、コロナ収束までそれぞれの思いを秘めながら耐えようということを持論を交えて深夜放送のノリで表現しただけだったはずだ。

 

 

しかし…。

 

 

 

ニッポン放送、岡村隆史の発言を謝罪「女性の尊厳と職業への配慮に欠ける発言」 4/27(月)

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

 

「放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます」

 

 

「弊社番組に関わる全ての制作スタッフには、迅速に、より一層の教育を図ってまいります」

 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

炎上はエスカレートし、岡村隆史さんの全番組からの降板を訴えるような勢いになっている。

 

 

なんだか自粛に応じないパチンコ屋や、来るなと言われても河川敷に集まりキャンプをして非難されている人々と重なってくる。

 

非難する人の拠り所は、主張する内容が正論であることだ。

 

 

わたしもそうなのだが、議論になると正論を振りかざそうとすることがある。

 

しかし、正論って言われた方も言った方も自己嫌悪と紙一重なのだ。

 

 

 

 

正論といえばこんな話もある。

 

「経済の9割を止めてもコロナ対策を」は正論か 4/22(水)

 

これまた、岡村隆史さんと重なるが、テレビでの発言が取り上げられている。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

ひるおび!」(TBS系)でのジャーナリスト、大谷昭宏氏の発言が波紋を呼んだ。大谷氏は、

 

「9割の経済を止めたっていいじゃないですか。人の命を守って、そこから先に経済を立て直すという事は出来るわけですよ。命を亡くしちゃったら、経済の立て直しなんてありえないわけです」

 

と「とにかく命ファースト」と強く主張したのだ。

 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

将棋の米長邦雄さんのことばとされるものに、賢者は正論を言わずというものがある。

 

 

このことばが生まれた時のエピソード等は、下記のリンクに書いてある。

 

http://www7a.biglobe.ne.jp/~sasayaka/sub70-3.htm

 

 

 

正論と暴論は、コインの表と裏のようなもので、全く違うようでほぼ同じという側面がある。

 

正論がまかり通る時は、実は暴論もまかり通っていることが多い。

 

こういう時は、多くの場合ピンチで、窮鼠猫を噛む状態だとも言えるのだ。

 

余談だが、正論も暴論も、そして屁理屈も、いずれも根っこは同じだろうなと感じてる。

 

正論に対して暴論が、逆に暴論に対して正論が、互いに倍返ししてやろうとするような時は、本当のピンチが訪れていて、生理的な脊髄反射なのだ。

 

 

空気を読むことは、強いられると苦痛だが、自分を守るためには空気が読めると便利だ。

 

空気が読めれば、正論を向けてはいけない相手が判断できるはずだ。

 

そういう意味では、岡村隆史さんの場合はリスナー以外が発言を知ってしまったことが運が悪かったと感じる、聴かせるつもりがない人たちにも声が届いてしまったのだ。

 

 

今のような時代だからこそ、賢者にならなければならない。

 

賢者になって、正論を言わずに、淡々と自分の信条信念に基づいて行動する方が活路を見出すためには役に立つかもしれない。

 

平時に、正論や毒を吐いていてキャラクターを確立した人には辛い時代になってるはずだ。