平安時代の末期から鎌倉時代の初期を生きた鴨長明が生んだのが方丈記。
その冒頭は以下のように始まる。
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、
又かくのごとし。
現代語に訳すと、
川の流れは絶えないが、
それは、もとの水とは違う。
よどみに浮かぶ泡は、
消えたり生まれたりして、
長く残っているものはない。
世の中にある人、家も、
またこのようなものである。
方丈記は、災害文学として無常観を表現してるということで、東日本大震災の時にも、上記の冒頭部分は非常に心に染み入るものに感じられたが、どこかで他人事だった人も多いだろう。
しかし、今は全員の心に染み入るものに感じられるのではないだろうか。
鴨長明が経験した厄災は大きくは以下の5つだと伝えられている。
・安元の大火
・治承の辻風
・福原遷都
・養和の飢饉
・元暦の大地震
現代は飢饉が縁遠いものになってる代わりに、ウイルスや疫病の危機が身近になっているということが、方丈記の舞台となった平安時代末〜鎌倉時代初期との違いに感じられる。
出回る情報の総量も違えば、その伝達のスピードも違うことを考えると、鴨長明の時代にコロナが出現してたとすると一体何が起きたのだろうかと想像してみた。
鴨長明が生きていた時代の種々の奇病や治療法を絵巻物にしたものに病草紙がある。
この当時に奇病とされたものの多くは、現代では診療科目として珍しいものではなくなっている。
コロナは、現代人が治療法を確立できてないという意味では現代の奇病として位置付けてもおかしくない。
鎌倉時代にコロナが現れた場合、そもそも病として認識されなかったかもしれない。
認識されないということには、大きく二通りの解釈が成り立ちそうな気がする。
そもそも調べて驚いたが、鎌倉時代の人口は最大に見積もっても700万人ほどらしいのだ。
この時代なりの濃厚接触や3密はあるだろうが、現代のものとは全く違う環境のはず。
そうすると、ウイルスは存在しても宿主である人間に出会えずに消滅するものがほとんどで、ウイルスに罹っても風邪をこじらせてるとしか思われないかもしれない。
だとすると、平穏な日常に見えていたのかもしれない。
このような見方の他として、ウイルスに罹る人がいてもウイルスという原因に辿り着けないので、祟りや呪いや天罰など過去の行動に起因する因果応報的な自業自得として扱われるかもしれない。
そうすると、医学の範疇に属することというよりも、宗教の領域として馴染む事態に捉えられたかもしれない。
自然災害を含め、大きな厄災が発生すると、方丈記の冒頭のような世間の動きが見えてくるのは、時代に関係しないのかもしれない。
人間の目には大きな変化に見えても、自然界のエコシステムに照らし合わせると、起きてもなんの不思議もない事態が起きるようになる。
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人間活動にも当てはまるかもしれない。
人間活動として当てはまっているのか、それとも日本だからなのかは不明だが。
アベノマスクに関する疑惑の発注企業の5社目(?)が出てきた。
加藤大臣の答弁で名前の挙がった「シマトレーディング社」。登記簿で住所を確認し、福島市飯坂町に行ってみたが「もぬけの殻」。会社感も生活感もまるで無かった #アベノマスク pic.twitter.com/rAFOEWCbmY
— 鈴木博喜 (「民の声新聞」発行人) (@s_hiroki24) 2020年4月28日
このような話に接するほどに、方丈記の鴨長明のことばが染みる。
〜〜以下引用〜〜
質素な住まいで、必要最低限の物しか持たずに暮らした鴨長明。
孤独で寂しい暮らしにも見えますが、晩年の長明は心豊かに暮らしていたようです。
長明の庵の近くには山を守る番人の小屋があり、そこに男の子も居ました。
この男の子は長明になついており、2人でよく遊んでいました。
かれは十歳、これは六十。その齢ことのほかなれど、心をなぐさむること、これ同じ。或は茅花(つばな)を抜き、岩梨(いわなし)を採り、零余子(ぬかご)を盛り、芹を摘む。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて穂組をつくる。
鴨長明は、方丈記を執筆した4年後の62歳で亡くなります。
激動の時代を生きながらも、鴨長明は現代まで通じる多くの言葉を残したのです。
〜〜引用ここまで〜〜
コロナは何を変えようとしてるのだろうか?
※鴨長明や方丈記に関しては下記のサイトから引用。