違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

怒りや不快感が抑えられない人は、心理学者目線を身に付けよう!

最近の炎上は、これまでの炎上と少し違ってきてる気がする。

 

岡村隆史さんの風俗の女性に関する発言がキッカケで振り返って見て気付くことがある。

 

 

 

岡村隆史さんの発言がどういうものであったかは検索すれば簡単に見つかるので引用はしないが、その発言に対してビートたけしさんは次のように反応していた。

 

 

 

 

 

バブルのネタとは、どうやら次の話らしい。

 

 

 

 

最近は以前に比べて指摘されることが減ったような気がするものに、TPOがある。

 

TPO=Time、Place、Occasion(Opportunityと使われることもある)、てっきり英語だと思っていたらWikipediaによると和製英語と出てくる。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

「時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分け」を意味する和製英語。この概念の発案者は「VAN」ブランドの創始者・石津謙介である。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

これもグローバル化のせいだろうか、24時間年中無休で瞬時に情報が飛び交うようになると、発信も受信もTPOなんて気にしてられなくなるのは当然だ。

 

今言ったらまずいかもというブレーキはかからずに、『今でしょ』とばかりにアクセルを踏むことだけになる。

 

 

そういう意味では、やらかしてるのは岡村隆史さんだけではないのだ。

 

TPOを弁えずに情報が飛び交うTwitterでは、演劇界隈も炎上の標的になっている。

 

TPOだけでなく、何かがズレた、発信者と受信者が本来は噛み合わないはずの情報が、噛み合ったが故に起きてる炎上だと感じる。

 

少し前までの炎上は意図的に仕掛けられるものが多かったので、その手には乗るかとスルーするという処世術もあったが、岡村隆史さんもそうだが、ここに来て目立つ炎上の共通点は、心の底からの本音で、誰でも分かってくれるはずと思って発信されていて、それが炎上につながっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

これらの炎上に共通してることにTPOの見極めの判断ミスがあるように感じられ、いろいろ検索してると、心理学の世界に強化スケジュールと呼ばれるものがあることを知った。

 

 

人は“報酬”があると積極的になるが、報酬が与えられるタイミングは場合によって異なる。

 

ザックリとわたしなりの解釈としては以下のようなものだ。

 

心理学がいうところの報酬とは、お金を含めて快感や満足感で、万人共通のものから自分だけにしかないピンポイントのツボまで幅広く存在している。

 

この報酬が発生するタイミングのことを、心理学用語では「強化スケジュール」と呼ぶ。

 

パチンコのようにいつ大当たりがくるのか分からないような、不定期なタイミングで報酬が与えられるパターンは、「変動比率スケジュール」と呼ばれる。

 

変動比率スケジュールは、強化スケジュールの中でも最も人がハマりやすく、ハマるとやめられないという、高い依存性を持っているとされている。

 

 

 

 

 

 

これらを踏まえると、言いたいことを言うということも脳にとっては報酬として作用するのだろうと実感を伴って思える。

 

 

主張するという行為は、単純に言えば、言うと気持ち良いことに理屈をくっ付けているだけなのかもしれない。

 

議論やディベートの本質とは、心理学が言うところの報酬の奪い合いなのかもしれない。

 

だとすると、議論やディベートが成立する背景には、当事者の双方又は片方に相手を受け入れるという譲歩、あるいは無関心が必要になる。

 

相手が言ってることを受け入れられない場合や、スルーできない場合には、穏やかではいられないのは当然だ。

 

表面的には、話の内容や議論のテーマに対して主張してるようだが、実際にはお互いに相容れない快感のツボを巡ってのケンカになるのだ。

 

 

上記で取り上げた炎上ネタは、明らかにコロナ対策に伴う自粛が多くの人々の生活の根底を揺さぶっていることで、許容範囲が狭くなっているから起きてることだと思える。

 

コロナ前だったら許容できたか、もしくはスルーしていたことに対して、モノを申せずにはいられない心境になるのだろう。

 

許容範囲が狭くなると、なんでもないことでも自分に関係するかもと過敏に反応し被害妄想が強くなるのだ。

 

心が不安定になると、知り合いが立ち話をしてる姿を見るだけで、自分の悪口を言ってるのだろうと思うようになるのに似ている。

 

 

不思議なことに、取るに足らないことに対しては簡単に不快感で怒りが沸点に達する人々は、自分の生活を直接脅かす張本人に対してはスルーするのだ。

 

 

 

 

コロナ関連での対応を巡って人々が見せる行動は、心理学者にとっては次から次に津波のように研究テーマが押し寄せているように見えているのかもしれない。

 

 

なぜ怒ってるんだろうか?

 

なぜ不快なんだろうか?

 

どうして怒らないんだろうか?

 

 

これらの問いを主語を入れ替えながら世の中を見渡すと気付けることがたくさんあるはずだ。