正義中毒、命名者は脳科学者の中野信子さん。
他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病 攻撃対象を見つけ罰することに快感を覚える 中野 信子
〜〜以下引用〜〜
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。
〜〜引用ここまで〜〜
自粛に応じない店舗や人々に圧力をかける自粛警察の動きや、芸能界の不倫や失言を許せない気持ちのほとんどが、この正義中毒で説明がつくような気がする。
同調圧力や“しごき”も、正義中毒で説明がつくように感じるということは、日本人の特徴に感じられるが、今回のコロナ禍での世界の様子を見ていると、同調圧力は世界のどの国でも見られるので、やはり脳の働きによる共通現象なのだろう。
そうなると注目すべきは正義の定義だ。
同調圧力を考えると、多数決的に大勢が従うルールというか空気が正義とも思えるが、ブラックな世界をイメージすると大多数は嫌でも権力や強制力を持った人の鶴の一声が正義とも思えてくる。
正義の反対は悪だと誰もが思っているだろう。
だからこそ、自分の正義観に反する意見や考えや行動に対して自信満々で圧をかけようとするのだろう。
しかし、
他人に自分の考え方を押し付けるのはやめよう。
— アドラー心理学サロン(アドサロ) ポジティブ心理学サロン (@PositiveSalon) 2020年5月1日
自分の正義の反対は、悪ではなく他人の正義です。
正義と正義をぶつけ合っても、不毛なケンカにしかなりません。
白黒をはっきり付けるべき問題なのかどうかは、しっかりと考え直そう。
基本的に、他人の正義はスルーするしか心の健康を保てません。
答えを探すときに正しい答えを求めがちだが、それは絶対性が成立するテーマに関する問いの時だけだ。
どうやっても相対的な比較しかできないことに関しては、正解の反対には別の正解が存在することになる。
そして、ピンチになればなるほど絶対的な正解を求めるようになる。
正義がテーマの場合だったら、絶対的な正義を求めるようになる。
酔った旧友から電話。命は尊い→救命で経済犠牲→財政による補償、その正義に反対できない、では帳尻は誰がとるのか?俺の孫か?と畳み掛けられた。私は「生き残ったもの全体で」と精一杯答えた。それに誰が予め合意したのか!先生だけじゃないか!と軽蔑気味に言われた。その後、話題は変わった。
— 齊藤 誠 (@makotosaito0724) 2020年5月4日
誰でも正義が勝つと思いたいし、勝って欲しい。
この気持ちが不毛の争いを生んでいる。
そのことに気付くと世間の動きを冷めた目で見ることができる。
正義とは、きっと知恵比べなんだろうなと思えてくる。