可視化 数値化されると漠然としてたものが具体的になるような気がしてくる。
いわゆるデータ化だ。
データ化されて発表されるタイミングと、元データが収集される時期にはズレがあるので、最新データの多くは少し前のデータにならざるを得ないので、解釈の際に感情のズレが介入してくる。
コロナで「売れた」「売れなくなった」商品TOP30 強心剤「売り上げ6割減」の実に意外な事情
詳しくは記事を読んで欲しいが、強心剤が売れなくなった理由として購入の多くは訪日中国人の爆買いの対象品目だったからと教えてくれている。
このことを知らなければ、全然実情と違うストーリーを作り上げそうだ。
この記事では、「売れた」「売れなくなった」商品のTOP30が載っていたので引用すると、
「売れなくなった」商品のほうが、多くのことを伝えているような気がする。
ここまでは、日本の国内市場に関しての話しだが、グローバルな目線で見ると、日本ではなぜPCR検査が少ないのかというのがある。
いろんな出来ない理由や、やらない方が良いとする理由があがっているが、おもしろいのは世界のPCR検査の最前線で活躍してる装置を作っているのは日本の(一般的には無名の)企業なのだ。
この会社は、このPCR検査装置を作ったことで駐日フランス大使を通じてフランス政府から感謝状を贈られているのだ。
以下の@hydeto800さんのツイートのリンク先のブログに詳しく書いてある。
@hydeto800さんはこの会社の株主の一人でもあるので、投資家目線として世界が評価してる企業が日本国内で評価さないことへの違和感をブログに書いている。
因みにこんな記事を書きましたhttps://t.co/f9J097T8xs
— ヒデト@副業コアラ一気通貫🐨🏍🐨 (@hydeto800) 2020年5月8日
日本を舞台にした出来事としてはさもありなんという話だが、情報の元になるデータは本来は無色透明で無味無臭なはずで善でも悪でもない。
そこに色や味や匂いを付けるのが人間で、色や味や匂いが付くからこその善であり悪になる。
色や味や匂いに一喜一憂するのが人生のように思える。
もし、色や味や匂いを変えたければ、今付いている色や味や匂いの上から何かを重ねることよりも、その大元にある無色透明無味無臭なものに目を向ける方が望むものに近づけるような気がする。
日本以外の国では、不満や怒りの声を上げると大元の無色透明無味無臭に意識が向かい易いのに対し、日本では上から色や味や匂いを重ねることで修正しようとするように思える。
追いつけ追い越せが合言葉で発展してきたからかもしれない。
追いつけ追い越せというアプローチの正体は、色や味や匂いの重ね塗りで、このアプローチが何をやってもガラパゴスになる理由だと思えてくる。
この重ね塗り意識は、日本で生まれ育って日本社会に適応してる人は誰でも無意識で身につけているかもしれない。
日本人が所与性にこだわると言われる原点にある意識かもしれない。
そして、怒りや不満が動機になる場合には顕著に現れるかもしれない。
怒りや不満がある時ほど、回り道のようでも大元の無色透明無味無臭のポイントまで意識を戻す方が良いアイデアが出るのではないだろうか。