緊急事態宣言が7都府県に出されたのが4月7日。
それを受けて7都府県のデパートは一斉に4月8日から臨時休業に入った。
〈参考〉
緊急事態宣言延長を受けた全国百貨店の営業状況一覧 新型コロナウイルス対策 2020/05/08
売上が立たなくなるのだから、余計なコストは掛けたくなくなるはずだ。
日本の百貨店業界の常識としてこのような場合、どこまで行うのだろうか?
例えば館内の空調は止めるのだろうか?
都内などの現在も自粛が解除されない地域では5月末まで自粛が続いた場合、休業は約2ヶ月になるのだ。
コロナで2ヶ月間休業したマレーシアのデパートが再開しようとしたら、革製品がカビまみれhttps://t.co/wg3jUYYrJu pic.twitter.com/DiU3iiEFc5
— ザビエル古太郎 (@XavierKotaro) 2020年5月11日
館内の空調を止めた場合のリスク管理なんていうのはどこまでされているのだろうか?
2011年の東日本大震災後の電力不足で計画停電や節電を首都圏が強いられた時期にも類似した問題は発生していたのかもしれない。
東日本大震災での原発問題から避難を余儀なくされた福島県では、一部地域から人がいなくなると、あっという間に町全体に雑草が茂り始め、野生動物が町に現れ始めたと伝える映像もニュースで流れていた。
雑草の茂った様は次の記事に添付されてる動画を見ると凄まじさがよく分かる。
人手が入らなくなると、あっという間に自然は元に戻るのだ。
3.11から9年、福島の避難指示区域は野生動物の楽園に 1/29(水)
そういえば、世界中でコロナ対策で外出自粛が徹底され、工場が停まり、走行する車の数や飛ぶ飛行機が激減すると大気汚染が酷かった地域の空気が短期間できれいになっている様子をビフォーアフターの写真で伝える記事もあった。
自然は、人の手が入らなくなると、すぐに本来の姿に戻ろうとし始める。
一方で人の手が入らなくなると、人工物はあっという間に廃れていく。
人が住まなくなった家は、あっという間に廃屋化し、単に見た目が朽ちるだけでなく構造物として弱体化していく。
『廃〇〇』と呼ばれるものが注目され関心が集まることが増えている。
廃〇〇の周辺には、廃れて以降の人の手が入らなくなった歴史が現れることが多い。
このような廃〇〇に惹かれることが一部で流行り始めたのが80年代からのレトロブームだと言われてる。
鉄道ファンの一部の廃線マニアや、建築物に興味がある廃墟マニアなどが代表的で、現在でも平成生まれの10代にも引き継がれている文化になっている。
廃〇〇には、人間そのものに当てはまるものもある。
廃用症候群というものがある。
コロナ前は、安静状態や寝たきりが続くと運動機能だけでなく心身の機能も弱体化するということで介護に関連した世界で使われていたが、外出自粛生活を続けた人にも少なからず当てはまる運動不活発病を意味する。
高齢者は入院中に廃用症候群をきたしやすいし、人工呼吸器を必要とするレベルの重症であれば回復しても自宅退院が困難になったり、介護度が上がったりすることは必ず考える。
— KGN (@KGN_works) 2020年3月22日
もちろん、死亡リスクも高いですが。
大変になるのは高齢者だけではないのだ。
心身に直接関係する廃〇〇はともかくとして、人が廃〇〇に惹かれるのは、そこに懐かしさや未知が感じられるからだろうと思える。
未知という意味では未来も未知だが、日進月歩ということばが生まれた頃から未来は予定調和化に向かっていたからこその反動だったのかもしれないと感じる。
知り尽くされた上で不必要の烙印を押されたからこそ廃れたはずなのに、そこに懐かしさや未知を感じられるのは何故だろうか?
このようなことを考えていると、知ってるつもりのことや、無意識のうちに通り過ぎたものの中にも謎や不思議が時の流れに朽ちることなく残っているのだろうなと気付ける。
廃れた過去には、望む未来と同じくらい謎や不思議があるのかもしれない。
だとすると、温故知新に注目するのもありなのだ。