これまであまり考えたことがないことに気付かせてくれる文章があった。
指原莉乃もハマる「虹プロ」 オーディション番組の魅力とは 6/26(金)
なぜこうしたオーディション番組が熱狂的な支持を得ているのか。
アイドル研究家の北川昌弘氏はその理由を「アイドルに抱く感情が、憧れから応援へと変化した」と解説する。
わたしの場合、憧れという気持ちは身近にあったような気もするが、憧れとしてよりも、それが少しズレて羨望になっていたような気がする。
憧れの目線で見るということは、異性なら恋愛対象として見ることに近く、同性ならばなりたい自分像として捉えているのだろうと思え、芸能界の人気者に限らず、スポーツ界その他の有名人がその対象になりやすいが、憧れというのは“はしか”のようなものでいつかは醒めるものだとも言われてる。
憧れの対象は、人物だったり生き方だったりすることが多い。
憧れとは、辞書的には『〇〇が現実になれば良いのに』と思うことで、〇〇の部分には人それぞれにさまざまなことばや文章が当てはまる。
だから言語明瞭意味不明になりがちで、人によっては実現可能な目標として憧れを語るが、それを聞いてる側は実現する気のない世間話として受け取っていたりするし、逆のパターンもあるだろう。
憧れとは、手が届くものにも手が届かないものにも当てはまるのだ。
上記の記事では、そんな憧れのニュアンスに応援の意味合いが出てきてると教えてくれる。
昔のアイドルは、ある日突然普通の人がデビューしアイドルとして売り出された瞬間から一気に高みに立つイメージがあり、デビュー前の下積みがあったとしてもそこは全く見えなかった。
しかし時が流れアイドルがジャンルとして確立するとトップアイドルから底辺アイドルや地下アイドルなど、同じアイドルという括りでも多様なグラデーションを描くようになった。
そう言えばと思い出したのが『推(お)し』ということばだ。
誰もがアイドルとして認めるアイドルではなく、まだアイドルになりきれないアイドル予備軍的な存在を熱心に応援することが『推し』と呼ばれるようになったのが90年台後半以降のグループアイドルが乱立し始めた頃からだ。
推しには、無名のアイドルを熱心に育ててるわたしという自己満足のニュアンスも大きく含まれる。
そして、その結果有名アイドルになると自分から巣立って行ったと推しをやめるという話もよく聞く。
推しは応援そのものだと言えそうだ。
時代の変化とともに、憧れの思いは応援の意味合いが強くなり、応援することは推しにシフトしているようだ。
そういう変化を感じさせるようなタイトルが付けられた記事が出ていた。
海老蔵、YouTubeで「長女推し」 背景に梨園の改革へ思いも
「配信動画のラインアップの中では、顔は見せなくても麗禾ちゃんが中心で取り上げられているものが意外に多い。そこには、“姉弟格差”を埋めてあげたいという海老蔵さんの思いがうかがえます」
推しという使い方が生まれて随分経つのだが、そのニュアンスは少しずつ変化してそうだ。
新時代の推しには、優しさや思いやりも込められてるような気がする。