豪雨から避難して来る友人を待ってる人がテレビに映されていた。
そこに友人夫婦が徒歩で現れた。
豪雨で道が寸断され何人もが孤立してる地域で救助も駆け付けられない中で、その友人夫婦は健康で体力があることを拠り所にして自力で道なき道を掻き分けて到着したのだった。
登場した方々のプロフィールは紹介されなかったのだが、勝手に私は友人同士というのが同級生に近い関係をイメージしていた。
しかし、現れた夫婦は、待ってる友人に比べてずいぶん歳の差があるように見えた、しかも夫婦の夫はおじいさんに見えたのだ。
歳の差が大きい友人がいることも、歳の差が離れた夫婦がいることもなんの不思議もないのだが、待ってる友人と辿り着いた友人が再会してあ互いの無事を喜ぶ会話をする際のおじいさんに見えた方の声はすごく若々しく聞こえた。
そして、この数日がいかに怖かったかを語っていた。
その様子を見ていて、この友人同士はやっぱり歳は近いのではないのかなと感じられた。
この話は、ただのわたしの勘違いの可能性も高いのだが、恐怖が人を老けさせるという話は昔からよく聞く。
実話なのか創作のオカルト話なのかは不明だが、恐怖体験をした人が一夜にして全部白髪になるというような話は誰でも聞いたことがあるはずだ。
恐怖で白髪になるという話は東洋医学では、恐怖は腎臓に過度の負担がかかるからだと解釈するという話も聞いたことがある。
起きた現象には必ず理由がある。
大きな恐怖を感じた人が一夜あるいは数日で外見が大きく老けるとすれば、その一夜や数日は、ごく普通の人にとっての数年あるいは数十年の人生に相当するストレスだったはずだ。
老けというのは一般的には外見の変化に感じることが多く、わたしもテレビに映った映像から勝手に想像しただけの話に過ぎないのだが、外見以上に老けの印象を決定づけるのは声だと改めて実感した。
わたしがテレビで見た夫婦が本当は若いのに恐怖で老けて見えていたとしても、声に勢いがあったということは老けは一過性のもので、元に戻るのではとも感じている。
考えすぎると、未来や将来に恐怖することがあるが、本当に怖いのは今現在の恐怖に違いないと感じた出来事だった。