違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

利権と男の性欲に付き纏う『抜く』が似ている!

オリンピックのように政治とビッグビジネスが関連するような場合に必ず取り沙汰されるのが利権。

 

『利権をめぐって…』と表現されると、具体的なことは不明でもなんとなく分かったような気になり『ああ、またか!』と思ってしまう。

 

日本の場合、利権が発生するところには間を取り持つ個人や組織がチラつくことが多い。

 

ごく普通のビジネスでもよく見られる形態で、その場合は仲介業や代理業と括られる。

 

お金の流れだけでいえば中間搾取と呼ばれる業態で、自分の手に負えない作業を受け持ってくれる場合にはありがたい存在だが、そうでない場合には手間隙など余計な負担を強いられるだけの存在になる。

 

こういう中間搾取の存在が成立する背景には法律が関係してる場合と、法律を踏まえた上で取引を担保するためのリスクヘッジ意識がある。

 

 

成り立ちの歴史を振り返れば十分役割が感じられるが、時の経過で特に必要性が感じられなくなるからこそ中間搾取という呼ばれるようになると不必要な存在として扱われるようになる。

 

そんな中間搾取を生業にする人や組織や企業は、新しい活路を見出そうとするものと必死で生き残りを図るものに別れるはずだ。

 

 

中間搾取に法律が関係してるとすれば、政治や権力と相性が良いのは当然だ。

 

人によっては暴力団のような存在も中間搾取業に分類することを考えると、いわゆるブラックも中間搾取を担っているのかもしれない、表向きの顧客やビジネスで儲けるだけでなく社員からも儲けてやろうと企むからブラックになるのかもしれない。

 

つまり派遣業は人を人材と称して中間搾取していると考えれば立派なブラック業界であることが分かる。

 

 

最近話題のGoToキャンペーンが東京でコロナが急増してるこの時期になぜと言われてるが、中間搾取に躍起な人や組織や企業と政治が一体となって動いてるとすれば何の不思議もないが、中間搾取と言う観点で捉えなければ不思議に感じられる。

 

中間搾取を別の言い方をすると、抜くだ。

 

 

抜くと表現した途端に、男の性欲のような雰囲気が漂う。

 

当事者の片一方が抜いた場合、その相手は抜かれたことになる。

 

抜かれるとは奪われたり盗まれることにもかかわらず、抜かれた相手はそのことを許容してるとすれば、いやむしろ喜んでさえいるとすれば、まさに男の性欲の世界で、その場合抜かれることは溜まったものを掃き出すことでもある。

 

しかし、世は男女平等であり男女同権であり趣味嗜好もユニセックス化していることを考えると、抜かれることを許容するのは女もかもしれない。

 

 

そこにはきっと溜まってるものがあるはずだ。

 

何が溜まっているかは人それぞれだ。

 

 

中間搾取という亡霊が災害や不幸に乗じて最後の足掻きをしてるのか、それとも墓場から蘇ろうとしてるのか、GoToキャンペーンの行く末から占えるかもしれない。