昨日のブログで生キャラメルをGoogleTrendsで見たことがきっかけで思ったこと。
ブームのピークの1年前から人気が出て、ピークの1年後には沈静化してしまっている。
生キャラメルが噂になり始めて、噂は1年間続いて、その後1年かけて噂が消えていったと言えるのかなと思ったことで思い出したのが『人の噂も七十五日』という諺。
この諺の『人の』は、他人がしてる噂と捉えると、生キャラメルを当てはめても成立するが、人の身に起きた出来事や起こした出来事と解釈すると生キャラメルは当てはまらなくなる。
今年は有名人の訃報が多いような気がするが、その中でも反応が高かったのが竹内結子さんと志村けんさんだった、この二人を見ると、
訃報の場合、インパクトは大きくても未来に向かう話は出ないのでお二人の場合でも1ヶ月後には検索上は沈静化している。
ちなみに竹内結子さんのインパクトは、この4〜5年チェックしてる中ではダントツでの高さで、1000万+という数字は初めてだ。
訃報の場合、どんなに大きな話題になっても、その話題には新たな燃料も火種も投じられないので、やがて消えていくだけだ。
未来に向かう話は、一種の燃料であり火種であることは当然だとしても、実は過去をほじくり返すことも新たな燃料や火種にはなりうる。
ネット上で話題になることを炎上と呼ぶのはよく言ったものだと感じられる。
現代の噂の賞味期限は大半のものが1日も保たないで、表面上は次から次に上書きされているが、犯罪など後ろ指を刺されることをするとタトゥとなり消えないものになる。
過去が20世紀の出来事ならば、かろうじてロンダリングできてるかもしれないが、21世紀に入ってやらかした出来事は発覚してないだけで火種が投じられるといつでも燃える可能性がある。
人の噂も七十五日とは、噂の時効が七十五日という意味だとすると、現代は時効は撤廃されたと考えるべきだろう。
よく似た表現に、喉元過ぎれば熱さ忘れる、というのがある。
覚えておこうと思うことほど、人の噂も七十五日や喉元過ぎれば熱さを忘れるとなりがちなのに対して、とっくに消えてしまっただろうと思っていた子供時代の気質は三つ子の魂百までとなり、何歳になっても消えないと言われる。
キレやすい老人が増えていると話題になることが多いが、その老人たちの幼少期に遡るとキレやすかったのかもしれない。
勉強したり経験したりして覚えたことでも使わなければ忘れる。
受験生の頃は、覚えたことを忘れたり、覚えてるはずの記憶を引っ張り出せないことへの恐怖があったが、加齢に伴う記憶の低下を自覚する時のゾッとする感じはそれに劣らない。
さらに、歳をとると、きちんと覚えてるつもりの出来事が、実際とは違う出来事にすり替わっていたりすることがある。
起きた出来事も違えば、登場人物も違っていたりするのだが、肝心の記憶は鮮明だったりするから不思議な感じがすることがある。
歴史が繰り返されたり、同じ過ちを繰り返すのは、人間の記憶と関係あるのかもしれない。
そういえば、歳をとると繰り返すことに、同じことを何度も言うというのがある。
幸いまだその自覚はないが、母親を見てるとそれを感じる。
繰り返して言うということは、内容に関する記憶は正常なのだが、前にも言ったということは記憶してないのだ。
パワハラ型の上司が同じことを何度も何度もガミガミ言ってる姿を見たら、脳の萎縮が始まっているのだろうなと思うと少しは溜飲が下がるかもしれない。
そういえば政治家がよく使うのが『記憶にございません』。
本当に知らないのか、知らないふりをしようとしてるのか、聞いてる人には一目瞭然だ。
記憶をキーワードにして人間観察すると思わぬ発見があって楽しめる。