日本では、醸造後のビールに熱処理を加えない状態を生(なま)ビールと呼んでいる。
若干の定義の違いはあるようだが日本以外では、ドラフトビールというのが生ビールに相当するとされる。
ビールの話がしたいわけではなく、『生(なま)』に注目してみたい。
※以下に出てくるのは全て生(なま)で生(せい)ではない。
Wikipediaによると、生という呼称が付けられた最初はアメリカ統治下の沖縄のオリオンビールのようで、それが1960年。
1967年にサントリーが用い始め、1968年にアサヒビールが用い始めた。
公正取引委員会が『生』の定義を公示したのが1979年。
『生』という呼称に特別感を受けるのはビールのせいかもしれないが、私にとってはなんといっても生クリームだ。
子供の頃、父親が誕生日やクリスマスの時に『生クリームだぞ』と言って買ってきてくれた時の特別感を今でも覚えている。
調べてみると、生クリームの普及は冷蔵庫の普及のおかげらしいと分かった。
生クリームのケーキが一般的になったのは1970年代に入ってから。
他にも、テレビやラジオの生放送や生演奏があり、これらは特別感というよりも、緊張感や一期一会感を感じさせてくれる。
また、アニメの普及も関係してるだろうが、映画やドラマで使われる効果音に代用や合成が増えてくると、本物の音を使うことを生音と呼ぶようになっていった。
以前の日本の映画やドラマで聞き慣れた銃の発砲音は本物ではないものがほとんどだったことを思い出す。
21世紀に入ってからだと生キャラメルというのがある。
北海道で作られた生クリームがたくさん入っているキャラメルが生キャラメルとして売られ大人気になり話題になっていた。
参考までにGoogleTrendsで見るとブームはピークの2009年2月を挟んだ前後2年間だったことが分かる。
生と相性が良いネーミングや呼称は食べ物に多いが、広告宣伝におけるテクニックとして何にでも生を用いることが増えている。
生写真というものもある。
ことばは知っていたが意味するところは今ひとつピンときてなかったので調べてみると、フィルムカメラで撮られ直接現像された写真のことで、デジタルカメラで撮られた写真には用いない表現らしいと分かった。
生写真と表現することで希少価値を上げようとしてるかのように。
そうなのだ、従来の呼び方に生と付け加えるだけで、勝手に希少性や価値のランクアップをイメージするのだ。
生(なま)の反対語は何になるのだろうか?
生(せい)の反対語だと死が容易に浮かぶが、生(なま)だと浮かびにくい。
調べてみると、反対語として二つの意味合いが見えてくる。
- 煮たり焼いたりなど調理で熱を加える状態
- 細工や加工を施した状態
熱を加えることと細工や加工を施すことには共通点がありそうだ。
このように考えると生には素材として無垢のイメージがあることが分かる。
現代という時代を考えると、細工や加工は避けられない。
そうすると、生として通用する細工や加工の許容範囲がテーマになるのだろう。
なんとなく、生の反対語としてAI的なものが感じられる。
考えたり、行動したり、作業したり、これら全ての主人公が自分自身であることがこれからの生(なま)の条件になるのではと思えてくる。
手作業や手作りの価値と言っても良いだろう。
図らずもコロナ禍で普及の兆しを見せてるリモートワークは、生で会う必要ないよねという価値を顕在化させてしまった。
生には、直接という意味もありそうだ。
生の取扱は、熱や細工の加え加減が問われる。
今だからこそ生き方としての生を意識することは意味がありそうだ。
こんなことを書いてみようと思ったのはアメリカ大統領選のトランプ氏を見ていてだ。
トランプ氏を見てると、最初は無垢に感じたそのマイペースぶりだが、行動が煮過ぎや焼き過ぎを感じさせる。
トランプ氏自身は生なのだが、自分の周りを生として扱わないという矛盾があるのだ。
世界中で起きている不都合は生を軽視した結果だと思えてくる。
新しい時代には生に対する深い造詣が求められるだろう。
もし生を尊重しようとすると、勝ち負けや優劣とは別の評価軸が登場せざるを得なくなるはずだ。