artは日本語では芸術と訳される。
このことが大きな誤解を呼んでるような気がする。
artの訳語として本来は何が相応しいのかを考えるには、その反対語に着目すると分かりやすい。
artの反対語はnatureなのだ。
由来的には先にnatureが存在していて、後からartが生まれたと解釈する方が流れとしては自然だろう。
最近風に考えると、人工知能がAIと言われるが、これはartificial intelligentの略であることから本来の意味が垣間見えてくる。
人間が作ったものがartなのだ。
その巧拙や優劣などはおそらく問われてはいないはず。
しかしながら、artに芸術という訳語が当てはめられると、どこかお高くとまった高尚なもの祀り上げられてしまい、高いハードルを感じるようになる。
現代はartの時代だと言われるが、artの意味を取り違えると、求めるものが違ってくる。
主に3パターンがある。
- 他人からの評価を得ることが大事
- 自分が楽しめることが大事(自己満足)
- 自分さえ楽しければそれで良い(独りよがり)
フォロワーの数に過剰な評価が集まることは全世界的な傾向に感じられる。
つまり、他人からの評価を得ることに過剰に関心が集中してるのは日本に限った話ではないのだ。
評価は質が問われるのではなく指標となる数字が問われる。
そのことが悪いというよりも、そのために何をするかが問われるのだ。
ただ質が良くても数字が付いてこなければ評価は得られない。
テレビの視聴率や新聞や書籍の販売部数のように数字で、個人のアウトプットとしてのartが問われている。
人間がやることは、仕事であろうと遊びや趣味であろうと全てがartであることを考えると、重要なことは何をどういう気持ちでやるかになると感じられる。
どんなに評価が得られても、やってることが自分の心を満足させるものでなければ真の幸せからは離れるだけだろう。
同様に、やってることは自分の心に従っていても、評価が全く得られなければどこかで行き詰まるはず。
人間は常に迷える子羊みたいなものだが、一つだけ確実なのは『自分で自分に嘘はつけない』ということ。
自分自身が好きで取り組めてることはモチベーションが尽きないはず。
好きで取り組めてないことでも評価が得られていれば辛うじてモチベーションは得られるだろうが、モチベーションの持続に関しては疑問がある。
嫌々やってる仕事でも、家族がモチベーションだったり、貯金を含めたお金がモチベーションでも、一定の継続や持続は成り立つだろうが、自分の心には嘘をつけないという意味ではどこかで不平不満が消えずに燻り続けるはず。
人生もartだとすると、自分なりにartを再定義することは意味があるはず。
と、ここまで書いてブログをアップしようとして読み返していて思い出したのが岡本太郎の『芸術は爆発だ』。
何だか深イイ言葉に思えてくる!
昔TVに面白い おじいちゃん出てた!決め台詞は「芸術は爆発だー」w…令和改めて見ると偉人。芸術家
— ひろ3 (@ebihiro3) 2020年12月11日
。岡本太郎。「負けた者こそバンザーイと、大いに胸を張ってにっこりする、これだよ。」沁みる名言も! 元気でる😊💫 pic.twitter.com/DTgbQltwcP