スペック競争をするならば価値があるのはNo. 1だけというのはなんとなく分かる。
スーパーコンピューターなんていうのはその代表格だろう。
一方、スペック競争と言っても使い勝手を競うような場合は、評価のポイントは少し違ってくる。
絶対性能が高くてもトレードオフやデメリットが目立つと評価は芳しくなくなる。
一定レベルをクリアした上で高いバランス力が求められるので、部分的にトップのスペックを誇っても芳しい評価は得られないし、逆にどこを取ってもトップの部分はなくても総合力の高さが高く評価されるということもある。
多くの工業製品がモジュール単位で製造されそれを組み立てて完成品となることが増えると、コピーをベースにしたオリジナル品が少なくなくなる。
つまり、どれも似たり寄ったりばかりが増えるので、特に良くもないが別に悪くもない、そんなもので溢れかえるようになる。
そう思っていたが、
戦闘機や特殊用途の機体を作ることに頓挫したわけではない。
単に技術力に起因してのことではなさそう。
なぜなら無難なコピーや真似は簡単な時代なのだから。
ここまでになると現場のモチベーションが著しく低いとしか思えなくなる。
と思っていると「そういうことかもしれない」と思えるようなツイートが目についた。
私の父はいわゆる不良や非行少年の面倒を好んで見ていた。幼かった私から見れば気のいい兄ちゃんらで、私に乱暴したりちょっかい出したりすることはなかった。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2023年2月6日
父がふと漏らした言葉を覚えている。「教師と警察官の子は、どうもグレることが多いなあ」。
このツイートは長く連続するが、モチベーションの低下が起きると人はグレるということを納得できるように説明するものだった。
三菱重工の現場の社員はグレたんだろうな。
やる気に溢れていたはずなのに、グレるしかない物語があったのだろう、なんとなく想像できるような気はするが、きっと想像を超えてるだろうなとも思う。
日本の劣化の背景には、国家にも企業にもそして個人にも当てはまるような気がする。