ブログを書いたり、Twitterで発信するようになると、世の中や自分のことに幅広くアンテナを張ってるつもりでも、自然と一定の枠に興味や関心が留まってしまうことに気付く。
そんな時は、自分が考えていることや発言することが、悪い意味でいつも同じことばかり言ってるな(=いつも同じようなことしか言えないな)と、少しガッカリすることがある。
一方で世の中には、愚直に同じ行動や主張を繰り返すことで信用や評価を得てるというケースも少なくはない。
愚直に同じことを繰り返すこととして、分野を問わず学習や練習やトレーニングがある。
そんな学習や練習やトレーニングは裏で行われるもので表からは見えにくい。
本当は愚直な繰り返しで身に付けられた実力であっても、ともすれば持って生まれた遺伝や生まれつきの才能のおかげだけではないかと感じることもある、オリンピックのような華やかな舞台では特に。
しかし、
全く真逆の愚直な繰り返しがあったんだろうなと思い知らされたのがパラリンピック。
全然期待してなかったパラリンピックの水泳をニュースで見て、教える指導者がいるのだろうかと思った。
14歳の山田美幸、日本勢初の銀メダル パラ100m背泳ぎhttps://t.co/PVGSTHx3UI
— 毎日新聞 (@mainichi) 2021年8月25日
パラリンピックで日本勢最年少メダリストとなりました。#パラリンピック#Tokyo2020
生まれつき両腕がなく下肢にも障害がある。
指導者がいたとしても、身体の状態が人によって全く違うのでセオリーなんてまるでないはず。
ヒントもまるでない中で愚直な試行錯誤だけが繰り返されたであろうことが容易に想像できて、静かながら深い感動を感じていた。
競技だから表向きは他の選手と競っているのだが、実際には自分と戦っていることも伝わってくる、見ていて不思議な時間が流れるのを感じていた。
おそらく本人は、好きだからやっている、楽しいから続いてる、そんな側面がなければ成立しないだろうなと思えた。
何を始めるにしても能書きやプレゼンテーションが最初に求められるのが現代で、オリンピックでメダルを目指す姿勢には見返りを求める意図が透けて見えるが、パラリンピックにはそれがないのだ。
もっとも、そこまで強烈に思えたのは水泳だからかもしれない。
車イスで激しくぶつかり合う競技は見たいとは感じない自分もいるのだ。
好きだから、楽しいから、愚直に繰り返せる事ってもっと注目されても良いのかもしれない。