違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

インターフェイスは厄介の大元

インターフェイスの辞書的な意味は(異なるものの間の)境界面、接続部分、共通境域。

 

PCの普及によってインターフェイスは端子の意味になっていった。

 

スマホの登場前までは、パソコンなどIT絡みの端子がインターフェイスと呼ばれていたのに対し、家電等では端子と呼ばれていた。

 

スマホが登場し画面タッチでの操作が増えると、画面表示やアプリの操作性に対する印象が評価に大きく影響するようになり、それはUI(ユーザーインターフェイス)と呼ばれ独立した評価項目になった。

 

今では使われ方に多様性が出たインターフェイスという表現は、前後の文脈を読み込まないとその意味を誤解することもあるだろう。

 

しかし、共通してるのは異なるものと異なるものの間にある接点という意味だ。

 

 

本来のインターフェイスは無機質な存在で接続の役割を果たせれば良いだけだが、機械ものとしてのインターフェイスには使い方が良くないとあるいは経年劣化などで接触不良などということが起こりうる、そうなると本来の役目は果たせない、それどころか無機質な存在なのに悪意すら感じるだろう。

 

 

インターフェイスをさらに拡大解釈すると、人と人を取り持つ人とも使えそう。

 

日常生活では仲介や代理と呼ばれる行為が該当する。

 

助言やアドバイスも含められるだろう。

 

これらの存在が悪く言われる場合の代表が中間搾取や詐欺という表現。

 

 

水原一平さんは大谷翔平さんのインターフェイスだったのだ。

 

この世にたくさん存在する人間関係のトラブルはインターフェイスの不良や劣化から起きてる場合も少なくないはず。

 

最初から不良だったわけではないかも。

 

現代社会ではトラブルを回避するために紹介を利用することも多いが、紹介もまたインターフェイスなのだ。

 

インターフェイスは、いつもわたしやあなたに寄り添うように擦り寄ってくる。

 

 

親切心やお節介心が生じるといとも容易く自分自身がインターフェイスになってしまう。

 

インターフェイスは厄介の大元でもあるのだ。

 

頭の片隅に入れておいた方が良いだろう。