違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

「まだまだ」化する「もっともっと」

「もっともっと〇〇」と言うような時の〇〇(別に二文字である必要はない)に当てはまる言葉にはどのようなものがあるだろうか。

 

Twitterを見てると、「頑張ろう」や「好き」や「楽しむ」などポジティブな言葉が多い。

 

一言ではなく、文が続く場合も多いが、その場合でもポジティブな表現が多い。

 

私の記憶にはないが、1995年に小室哲哉プロデュースで篠原涼子の歌のタイトルにもなっていて60万枚以上売れていることの影響も大きいのかもしれない。

 

 

「もっともっと〇〇」の〇〇に似合う言葉や表現には自己啓発的なものが似合う。

 

もっともっと知りたい、もっともっと追い求めたい、もっともっとに続く言葉や表現には、より高く、より深く、より遠くを意味するものが似合うが、このような表現が飽き飽きするくらい世間に増えたように感じる。

 

もっと言うと、用法が限りなくマニュアル的というか、テンプレート的なものになっている。

 

「もっともっと」の反対語はきっと「まだまだ」だろう。

 

「まだまだ」に続く表現は否定だ。

 

「もっともっと」の使われ方がマニュアル的、テンプレート的になればなるほど「まだまだ」の使われ方もマニュアル的でテンプレート的になった。

 

「まだまだ」が似合うシチュエーションは反省や謝罪の意思表示の場だ。

 

つまり、広い意味での言い訳なのだが、この言い訳のニュアンスがマニュアル的でテンプレート的になった「もっともっと」にも漂う、それが現代だ。

 

「もっともっと〇〇」と言いたくなった時には気をつけよう、その気持ちに嘘はないとしても、伝わるのはその10分の1程度がせいぜいだと言うことを。