習慣になってるためにやってることの多くには、自然と疑問を持たなくなる。
なんとなく違和感を感じていても、その違和感に蓋をすることがある。
例えば、ニュースや話題をジャンルやカテゴリーで分類したりだ。
最近はジャンル分けやカテゴリー分類はとても細分化されているため、自分の中でのジャンル分けやカテゴライズと世間のそれが、必ずしも一致しなこともよくある。
大きな書店に行って、こんな本がこんな棚に置かれてるんだと感じることもある。
ジャンル分けやカテゴライズの始まりは、〇〇系という言い方から始まっているように感じる。
誰しもが一度は自分の身に降りかかったことがあるのが理系文系というジャンル分けだろう。
わたしは算数や数学が好きだったので理系と呼ばれ、そう分類されると国語や社会が苦手に感じられるような気がして本当に苦手になっていったという経験をしたことがある。
国語や社会が好きになれないことに対して、『俺は理系だから』と言い訳をすることは完璧な理由づけだと感じられた、きっと脳の構造がそうなのだろうから仕方ないと。
空気を読んだのか自己暗示にかかったのか、いずれにしても今にして思うのは未熟さゆえだったのだろうと言うことだ。
ただここで重要だと思うのは、自分で自分をジャンル分けしたのが始まりではなく、他人が何気なく言ったであろう言葉に反応して自分を縛ることが始まったということ。
1991年に創刊された求人誌のネーミングから肉体労働をガテン系と呼ぶようになったが、若い人は分かるのだろうか?
ガテンは『合点(がってん)』が由来で、今で言うところの了解と同じ意味だが、そう言う言葉遣いをする人たちという意味で、肉体労働や3K(きつい、汚い、危険)職種を意味する。
ガテン系が誕生する前は、事務職をホワイトカラーと呼ぶのに対して、作業をする人をブルーカラーと呼んでいた。
カラーは色のカラー(color)ではなく、襟(collar)を意味していて、制服の色が由来。
カテゴライズやジャンル分けは非常に大雑把なものだったものが、気がついたら多種多様になったことは、単純に受け止めれば多様化を意味するのだろうが、そんなジャンル分けやカテゴライズに違和感を感じる人も多いはずだ。
不思議なことに、ジャンルやカテゴリーがネーミングされると、自然とその分類に当て嵌めようとしがちだ。
あまり違和感を持つことが少ないことの一つに、時代が進むほどに病名や症状がとてつもなく増えたことがある。
大病院に行くと、なんだこれはと思うような診療科があったりする。
そういえばと思い出したことがある。
薬を売りたければ病気を作れば良い、病気を作るとはただ病名を付けるだけでいい、病名さえ付ければその症状を訴える人は勝手に現れるから告知のために広告やCMを流すだけで良い、という話。
これに似た話を、健康食品が大人気の某有名通販会社のスタッフから直接聞いたことがあるのは20年くらい前だ。
あっという間にローカル会社だったのが全国区に成長した。
人間のモチベーションを掻き立てるのは、不満や不安や心配という感情。
なるほど!
多様化するジャンル分けやカテゴリー分類は、単なるマーケティングから生まれているのだ。
今日は売れなかったものでも、違うジャンルで売り出せば明日はきっと売れるだろう、そんな思いを込めてジャンルやカテゴリーは増えているのだ。
自分を位置付けたいと思ったら、自分の言葉でした方が良い!