今朝、雨音で目が覚めた。
雨音を聞きながら思った話。
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植物に興味がある人だと、晴天を喜んでばかりをいられない。
晴天が続くと、日本の植物は萎れてくる、水分が不足するからだ。
大地に保水されてる水が減るから根が水を吸い上げられなくなるのだ。
このような状態になると、空気も乾燥して人間の生活にも影響が出るし、なんとなく水不足も心配になり始める。
海は満々と水を貯め、海水は蒸発することで大気も膨大な水分を抱えているはずなのに、砂漠のように水が循環してこない地域がある。
東日本大震災による原発事故で長期避難を余儀なくされた福島の町にしばらくぶりにカメラが入って映像を撮ると、人が住んでいたら植物が生えることはないはずの所からも植物が生え、そこが街だったとは信じがたいほどに短期間で変化する。
ほったらかしにされたからだけではなく、それなりに雨が降るからなのだ、おそらく雨が降らなかったらそうはならないはず(と思っている)。
同じ理屈で、保水できない砂地では植物が育たないように感じられるが、ここで土と砂はどっちが先だったのだろうかと疑問が湧く。
土の水分が徹底的に抜け切って粒子化したのが砂なのか、砂に長期間水が浸透することで性質が変わって土になるのだろうかと。
いずれにしても、人の一生という程度の時間軸の単位で起きてることではないだろう。
このように考えると、地球上の空気は高度が高くなければどこでも呼吸可能なのは、酸素がほぼ均等に分布し循環してるからだと想像できるが、水や水分はその偏りが非常に大きいことにも気付ける。
世の中には、目立たない裏方として成立している、普段は気付かない循環がたくさんある。
循環するのは大自然の現象だけではない。
人間の欲に密接に関連してる循環するもの代表が、因果やお金。
循環するものにはその理由を求めたくなる。
なぜ循環するのか?
どこをどう循環してるのか?
どうやったら循環をコントロールできるのか?
人為的なものに関して循環してるのには、手法や手続きもありそうだ。
世の中には、見え見えの作為に満ちたものが、素知らぬ顔で循環することが多い。
大阪でコロナ陽性の人に送られる通知の裏にこの広告で、しかも番号が、、コロナなお良い
— Isseki Nagae/永江一石@「虎の穴」 (@Isseki3) 2021年1月22日
呆れて口がぽかん pic.twitter.com/TkFDUsC5w3
567-701(コロナ-なお良い)、関西風のシャレと悪ノリの際どい手法の循環が漂っているような気がしてしまう。
歴史は繰り返すと称される世の中で起きてる人間が巻き起こす不思議なことや納得できなことの多くは、手を替え品を替えながら、むしろ循環するように続いているような気がしてくる。