違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

分類や区別に対するあれこれ

将来や未来が気になるなら今をしっかり理解する必要がある。

 

今をしっかり理解したいと思うなら近い過去に対する理解も必要になる。

 

今はテクノロジーの時代だから理系の時代だと言われるが、テクノロジーが人間のために存在するならば理系とか文系は関係ない、いやむしろお客やユーザーには文系の方が多いとするなら、文系を蔑ろにする理系は迷惑で邪魔な存在にしかならない。

 

日本で生まれ日本で育つと、理系文系と分けることに違和感を持たなくなる、違和感を持ってる人もだからと言って争っても疲れるのは自分だけと気付いているだろう。

 

 

そしてそれよりも根深いものに男だから女だからが日本にはある。

 

表面的には世の風潮に合わせて中立を装ってる人は増えてるが…。

 

区別や分類は便利ではあるが、それに振り回されてしまうとおかしなことになる。

 

理系男

 

理系女

 

文系男

 

文系女

 

 

たぶん誰でもなんとなく具体的な顔が浮かんでいるだろう。

 

 

日本で生まれ育った人だと、あらゆる勉強や経験は日本語を介してになる。

 

英語の勉強だって半分は日本語だし。

 

 

理系とか文系、あるいは男とか女とか、分類や区別はあっても所詮日本語の範疇の話だ。

 

では、その日本語はどうなんだというと、国語の勉強ができるかという話ではなく、それ以前のレベルとして話やコミュニケーションが成立しないというケースが増えている。

 

理系、文系、男、女という区別に加えて、年齢や社会的な属性でも区別が進むようになると、言葉遣いそのものが違うようになる。

 

昭和のテレビの視聴率が高かったような時代は、分類や区別が今に比べるとはるかに少なかったからこそ共通する価値観の成立が容易だったのだ。

 

 

多様化を受け入れることは、分類や区別を増やしているのか、それとも分類や区別をなくすためなのか、よく分からなくなる。