最近の日本では根性論は忌み嫌われるが、精神性としての根性や根性論の歴史はどうなっているかご存知だろうか?
昨年末に買ったこの本に書いてあった。
過去に出された岡本太郎の文を集めた本で、巻末には出典の情報も載っている。
岡本太郎が1965年に週刊朝日に書いていた。
55年前の話。
〜〜以下引用〜〜
「根性」という言葉がはやった。
やはりすっきりしない。
私は何度か根性論を書こうかと思ったが、
言葉自体の不愉快さに筆が進まなかった。
(中略)
去年の夏、ちょうどこの言葉がはやりはじめた頃だ。
あるところで、若い学生たちと「根性」というテーマで話し合ったことがある。
ところでこちらはウカツ、これが流行語だとはそのときはまだ知らなかった。
そこで彼らに、どういうことが根性か、と聞いてみたのだが、顔を見合わせてどうもはっきりしない。
それなら具体的に、どんな人に根性があると思うか、と質問すると今度は即座に答えがかえってきた。
口をそろえて、徳川家康、ヘレン・ケラー、チャーチル、松下幸之助、などと答える。
(中略)
つまり、有名な人、成功者が「根性の人」だと思っているのだ。
(中略)
えらくなった、有名になった、日の丸をあげた、いずれにしても成功することだけが根性だと思っている。
立身出世主義だ。
ひどく功利的なのである。
「勝ちゃいい」という精神。
〜〜引用ここまで〜〜
大して歴史があるわけでもないのが根性論だとわかるが、1960年台の半ば以降の日本人が取り憑かれてる価値観でもある。
現在では根性論には疑問も生まれてるようだが、「勝ちゃいい」は根深そうだ。
根性とは病名のようにも感じられる。
「勝ちゃいい」病の病名が根性と命名されたのかもしれない。
薬を売りたければ病気を作れ、病気を作りたければ病名を作れ、病名さえ作れば勝手に病人は湧いてくる、という話に通じる。
岡本太郎の話は次のように締め括られている、繰り返すが55年前のことばだ。
〜〜以下引用〜〜
敗れ、埋もれてしまった多くの人たち、そして見えないところで、平気で、人間の誇りの支えになってる人をこそ讃えたい。
人生は小さな勝ち負けではない。
他人を負かすことよりも、自分自身にうち勝ち、生きがいをつらぬくこと、それが美しいのだ。
〜〜引用ここまで〜〜
コロナ禍で格差はますます拡大すると見られてるが、もしかしたら、コロナの意義は「勝ちゃいい」を変えることにあるのかもしれない。