吉本興業を舞台にしたドタバタ劇は、典型的な芸能案件としてお茶の間で話題になっている。
登場人物の多くが有名人で、本来黒子であるはずの経営陣にもテレビのバラエティ番組に出たことがある人がいるくらいなので、興味や関心がある人にとっては事実関係を知りたいということ以上に感情移入する要素が多い。
この事件は、芸能案件である以上に典型的なブラック企業案件でもあるのだが、ブラック企業という切り口ではあまり捉えられてないようなので、ブラック企業という観点で語ってみたい。
私の中で「ああ、これはブラック企業案件なんだな」と思えたのは岡本社長の記者会見を見てからだ。
最初は許容範囲だった、自らは辞任せずに減俸に留めたことも事情を直接知ってる者が改革を最後まで成し遂げるためと見えたからだ。
しかし、質疑応答で馬脚を露わすことになった。
ちなみに、今回の出来事をブラック企業の案件として捉えた場合、他のブラック案件との最大の違いはマスコミの取材が入り逐一世間に公開されたことであり、その報道を見た人の多くがにわか評論家になったことだ。
ブラックとしてマスコミや世間の注目を集めた件としては、電通の高橋まつりさんの事件があるが、こちらは命が失われているが、今回の吉本案件は興味本位のゴシップ案件に過ぎない。
ブラックは、多数の目に晒されることを嫌がるのだ。
ましてや評論の対象になるなどもっての外なのだ。
一般論として、どんな業界でも、どんな企業でも、独自の文化というものが自然に醸成され、その環境にどっぷり浸かると少しズレた感覚が自然と身に付くことがある。
だから、「業界の常識は世間の非常識」、「会社の常識は世間の非常識」などと言われるようになる。
一連の吉本案件はマスコミも世間も大注目したので、多数の立場での常識と非常識のズレがぶつかり合って、しかも話題として難易度は低いので、大きな話題になったように感じられる。
逆に言うと、マスコミが取り上げなければ、今回の件でいうと最初の闇営業の暴露記事が無ければ何事も起きなかったのだ。
当初、宮迫&亮の両名は自分達は悪いことはしてないと思っていたから、そのように振る舞っていたが、やがて自分達の思い込みが間違いであることに気付いた。
宮迫&亮と吉本興業の考えがズレ始めるのはここから。
宮迫&亮は間違いを訂正し謝罪したいと考えたのに対し、吉本興業は「今さら訂正できるか(怒)」と考えたのだ。
不都合な真実は隠したいということが、ブラックの最初の一歩になるような気がする。
一つ隠すと次から次に隠したりごまかしたりを繰り返すことになるので、途中から辻褄を合わせるための訂正等できなくなるのだ。
「やっぱり訂正できません」ということが、吉本興業の社長会見の質疑応答で露呈していたのだ。
準備不足を指摘する声も多いが、公開の場では360度全方位へ対応できなければいけないので、間違いを認めない限り辻褄は合わせられないのだ。
翻って、ブラック企業やブラック経営者は真に公開の場を嫌がると言えるだろう。
360度全方位からの問いに対して、知っていることは知っているとおりに、知らないことは知らないと答えられる人がどれだけいるだろうか?
吉本興業の岡本社長の記者会見を見ながらイライラした人はとても多かったと思うが、そんな岡本社長と自分自身がダブって見えた人も大勢いるかもしれない、また身近な誰かを思い浮かべた人もたくさんいるだろう。
岡本社長を見ながら、こんな日本人たくさんいるよな〜と思っていた。
よしもとの芸人やマネージャー時代を知る人によると、日常の岡本社長は高圧的で恫喝的なしゃべりをする人だったらしい。
自分に都合良くものごとを進めることができた背景には武器としての「業界の常識」があっただろうが、それが通用しない全方位対応を余儀なくされると途端に通用しなくなったのが記者会見の姿だ。
自分に都合良くものごとを考えて実行するということは、ビジネスや法律や政治の世界で盛んに展開されているが、この「自分に都合良く」という考え方こそがブラックだと記者会見は教えてくれた気がする。
では、どう考え行動すれば良いのかが気になるが、それはまた改めて考えたい。