違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

善意が機能しなくなると、デジタルアーカイブに時効はなくなる

人間は変化する。

 

変化は評価の対象になる。

 

評価には、基準となる軸が尺度として存在している。

 

成功失敗という軸や、

 

好き嫌いという軸であったり、

 

あるいは、

 

本当かウソかという軸であったり、

 

さまざまな軸を当てはめながら評価される。

 

 

評価はすぐに下ることが増えた、良くも悪くも。

 

 

現代は、評価は良くても悪くてもタイムラインを一瞬で駆け抜ける。

 

 

駆け抜けて消えるように感じるが、消えずに蓄積されるようになっている。

 

蓄積されているだけだから、掘り返すことや蒸し返すことが可能だ、それがデジタルアーカイブ。

 

起きた当時には話題にならずに消えたように見えた出来事が、掘り返されることがある。

 

評価が下るのに時間差が生じるのだが、時として本人ですら忘れてしまってるタイミングで掘り返されることがある。

 

努力が報われたと評価されることもある。

 

ノーベル賞などは、30〜50年前に始まった取り組みに対する評価であることが珍しくない。

 

このような場合には、ツキが回ってきたように見える。

 

一方で、ブーメランと呼ばれる現象もある。

 

この場合は、ツケが回ってきたように見える。

 

 

 

 

こんなこともあった。

 

世間的にはマイナーな出来事だったかもしれないが少し前にソースコードの流出が話題になった。

 

 

 

 

やったことは悪いが、重要な情報を扱わせながら低賃金だという点も指摘され擁護の声もあったが、

 

 

 

 

デジタルアーカイブされていたものが掘り返されると、ブーメランとなって傷つくのは自分なのだ。

 

このような構造が見えてくると、もはやブーメランはどこを飛んでるのか分からない、まさに後悔先に立たずとなるし、すでにその心配をした方が良い人は多数いるのかもしれない。

 

 

先日、引退を表明したAmazonの創業者ジェフ・ベゾス氏が良く口にすることに、

 

Good intention doesn’t work, only mechanism works!

善意(良い意図)は役に立たない。仕組みだけが役に立つ

 

というのがある。

 

 

善意が機能してれば、少々残念な出来事がアーカイブされていても、取り扱いに抑制が効いたはずで、そういうことが忖度や空気を読むことにつながっているのかもしれない。

 

しかし、世の中は善意では回らなくなっている。

 

東京オリンピック招致のキーワードになっていた『お・も・て・な・し』も善意が前提だが、そんな東京オリンピックはガタガタと大きく揺れている。

 

善意は搾取にもつながりやすい。

 

詐欺の多くも善意に付け入ることから始まる。

 

 

善意が機能しないことを嘆く必要はない。

 

善意を必要としない仕組みやシステムが機能すれば良いだけなのだ。

 

 

コロナで遠い昔に感じるかもしれないが、残業や有給休暇の取得も仕組みやシステムとして機能せず、善意で運用されていたという経験は誰にあっても不思議はない。

 

 

成り立つ余地のないことを仕組みやシステムに取り入れることはできない。

 

Wikipediaによるとベゾス氏は、次のような考え方の持ち主でもある。

 

 

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一般的な「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を使わず、「ワーク・ライフ・ハーモニー」と言う。バランスという言葉には、どちらかではなく一方(だけ)を持つかのような含みがあると彼が考えているからである。彼の考えでは、仕事と家庭生活は、情報を共有して調整をおこなう相互接続的なものなのだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェフ・ベゾス#経営哲学

 

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善意に頼らず、仕組みやシステムで取り組むということについて改めて考えてみたい。