違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『慈善事業じゃない』という免罪符

最近新聞を見ていて、たまたまその日だけだったのかもしれないが、折り込み広告ではなく、紙面広告にやたらに保険会社が載っているのに気付いた。

 

コロナと関係あるのかなとも感じたし、昔から日本人は保険好きとも言われてるなと思ったが、誌面広告は費用もかかるだろうから見返りが期待できなければ掲載しないはずだとも思える。

 

ちょっとGoogle Trendsで検索可能な2004年以降で保険の推移を見ると、

 

 

Google Trends『保険』2004年以降

 

 

事業としての保険が検索されてるだけではないが、検索レベルでは安定した需要が感じられるし、コロナの影響は感じられない。

 

検索のレベルが違いすぎると比較にならないが、コロナで大きくダメージを受けている旅行と比較してみると、ラッキーなことにグラフとして分かりやすい比較が出来た。

 

 

Google Trends『保険』『旅行』2004年以降

 

 

旅行は、コロナで検索自体もダメージを受けているのだ。

 

コロナで大きく盛り下がった後少し上がったのはGoToトラベルのおかげなんだろうと思うが、それもコロナ前よりは低水準だったことが分かる。

 

 

 

少し話は変わるが。

 

東日本大震災から10年経過ということで話題になってることの中で、あまり大きく取り上げられないことに、復興住宅の家賃が上昇してるということがある。

 

いろんな意見があって当然だが、自分が被災者で復興住宅に住んでいて震災前の生活を取り戻せない状態にあるとしたらと感情移入すると、とても辛いことだと感じるはずだ。

 

復興住宅の家賃が上がっているという話をラジオで聞いていて、保険の話となぜだかわたしの脳内でリンクした。

 

そして、思い出したフレーズが『慈善事業じゃない』というものだった。

 

保険やセーフティネットと呼ばれるものは、利用者目線ではいざという時にすがりたいものだが、肝心の相手方はたいてい『慈善事業じゃないんだ』という反応を取ることが多い。

 

優しく振る舞ってる人や企業や組織が、手のひらを返すような振る舞いに転じる際の定番のセリフでもある。

 

よく聞く慈善事業ということばだが、具体的にはどういうことかと検索するが実に分かりにくくて言語明瞭だが意味不明なのだ。

 

強いて言うと、チャリティ、ボランティア、寄付などをイメージすると良いようで、直接的な対価や見返りを求めない行動になるのだろう。

 

<参考>

誰にでもできる寄付やボランティアの仕組みがある! 知っておきたい慈善活動の仕組み(GetNavi web)

 

 

慈善事業はともかく、東日本大震災以降は慈善活動としてのボランティアは社会に大きく浸透し、尾畠春夫さんのような象徴的な方も知られるようになった。

 

 

しかしながら、圧倒的に世の中は『慈善事業ではない』という理屈で回っている。

 

 

困った時に助かるためにと準備してたはずのものに裏切られる人は多い。

 

一般的な詐欺とは少し違い、そこで起きてることは誤解が原因なのだ。

 

この誤解は保険のような場合、売る側が意図的に仕掛けられてる場合もあるし、買う側が勝手に妄想を膨らませてるだけの場合もある。

 

だから、いざという時や万が一の時に、こんなはずではなかったが起き、双方の交渉という名の水掛け論が展開される。

 

その結果、多くの場合、助けて欲しいと思ってる側が思い知らされるのは、相手が展開していたのは慈善事業ではなかったということだ。

 

これは民間企業だけでなく行政でもだ。

 

 

 

アメリカでは巨万の富を得た事業家が、莫大な額の慈善活動をすることが珍しくない。

 

比較的最近の話で言うと、2018年にアマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏が20億ドルをホームレス支援の慈善活動に投じたと伝えられる。

 

宗教を背景にして懺悔の文化がある人は、儲けるためになりふり構わず突き進んだ結果巨万の富を築いた場合、自分のせいで苦しんだ人々がいることを思い出すと言われる。

 

直接何かをしたわけではないが、結果的に自分の成功の裏で苦しんでる人がいるという現実を認めることから逃げられなくなるという。

 

その気持ちから逃れるためには懺悔しかなく、懺悔の行動が慈善事業だとも言われている。

 

翻って考えると、『慈善事業じゃないんだ』というセリフが決まり文句になると言うことは、宗教団体は多数あるが信仰心はまるでない無宗教の国日本らしい。

 

だからかもしれないが、『慈善事業じゃない』が免罪符として通用するのが日本なのだ。

 

 

最近揶揄的に自助が取り上げられるが、それが日本の本質だと心得た方が賢明なはずだ。

 

自助だけを押し付けることが良いとは思わないが、その意識を持つことはとても大事なことだと感じる。