本人が関知しないところで起きたでき事のせいで、とんだトバッチリを受けたのが渡辺直美さん。
しかし、渡辺直美さんはその逆境を自分のキャラを活かしながら跳ね除けた。
東京五輪開閉会式を巡る問題で、渡辺直美さんコメント全文 2021.3.18
全文に目を通すことに価値があると思うので、部分を引用するのは避けるが、キーワードは『エンターテイメント』となりそうで、渡辺直美さんは、今回の件が無くても次のような持論の持ち主だったようだ。
スベったら耳鳴りするくらいメンタル弱かった渡辺直美がエンターテイナー極めるためにNY留学したときのエピソード、渡辺直美すぎて惚れ直した pic.twitter.com/ShOoWswLJO
— ジェラくる/YouTube (@graduate_RPG48) 2021年3月17日
渡辺直美さんの振る舞いは、概ね好意的に受けとめられていると思っていたが、さすが模範解答を求めたがる日本だなと感じる意見も強いようだ。
同意。渡辺直美嬢による抑制された大人のコメントを過剰に賛美することは、「怒る人」「反撃する人」「訴訟を起こす人」を抑圧する結果になると思う。森喜朗氏が組織委の女性に求めていた「わきまえた女」と同じ忖度のマナーを暴言や暴力や性差別被害を受けた人々に求めることになる。 https://t.co/GPiz7bcknB
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2021年3月18日
東京五輪・パラリンピックの開閉会式を巡り、企画、演出の統括役を担うクリエーティブディレクターの佐々木宏氏(66)のLINEの内容が暴露されて起きた騒動だが、外野で見てるわたしや世間は、さまざまな切り口で切り取りたがる。
そして、多様な正論やピント外れが展開される。
さまざまな見方があるのは承知の上で、できることなら取り入れたいのが渡辺直美さんの振る舞い方だ。
渡辺直美さんの場合は、エンターテイナーだという自覚がプラスに働いたからとも言えそうだが、一般人のわれわれが振る舞うにはどうすれば良いのだろうか?
人間の本質は、ピンチの時に現れるといわれる。
ピンチで窮地に陥る人と、ピンチをチャンスにできる人はどこで分かれるのかが、今回の件は参考になるような気がする。
ピンチをチャンスに変えるというのは、損して得取れにも通じる。
ピンチになると、普通はオロオロするか怒ったりイラだったりするだけのことが多い、そうならないためにプランBやプランCを準備しておけという危機管理もある。
今回の渡辺直美さんのようなできごとが起きて、渡辺直美さんのようなリアクションを取ると、周りの人の中には『あなた(おまえ)バカにされてるんだから怒りなよ(怒れよ)』と、けしかける人が少なくない。
怒ることが正解なのか、それとも別の対応が正解なのか?
その答えは、自分自身が自己嫌悪を感じるか感じないかで決まる。
怒るべくして怒ったはずなのに、自己嫌悪を感じることは少なくない。
子供の頃、親や教師に理不尽な怒られ方をして不快だったはずなのに、自分が親や教師になって怒り方を間違って自己嫌悪に陥る人は少なくないはずだ。
同じことは、会社での人間関係にもあるし、趣味の分野でも起こりうるだろうし、むしろ最近では通りすがりやたまたまその場に居合わせただけの場合に怒りに任せた振る舞いに出くわすことが増えている。
もちろん、怒りたいのに怒れないことで自己嫌悪を感じてる人もいるはず。
今回の件で、渡辺直美さんに学ぶことがあるとすれば、怒らなかったことではなく、自分のキャラに照らし合わせて一切自己嫌悪を感じることが無いような振る舞いを取れたことだと感じる。
気分が悪くないわけないと思うが、『この振る舞い方で間違いなかった』と、むしろ気持ちはスッキリしてるだろうなと想像できる。
過去に自己嫌悪を感じたことがない人は、いつも通りに振る舞えば良いはずだ。
過去に自己嫌悪を感じた人は、同じ状況を再現しないようにすることだ。
間違ってはいけないのは、自己嫌悪を感じたのはメンタルが弱いからで、立ち向かって克服しなければいけないと取り組むことだ。
このような取り組みをした結果、ちょっとしたことで怒り出すようになり、怒ることでストレス発散してるつもりになって、運やツキから見放される人が日本人には多いような気がするし、自分にもそういうところがある。
人の振り見て我が振り直そう!