世の中には二通りの人がいる。
AとBだ、的な話はよく聞く。
実際にははっきりと分かれるわけではないが、便利な言い方で重宝される。
今日のテーマは、ドアをガチャンと閉めるタイプとそっと閉めるタイプについて。
このガチャンは鍵の閉め方も含めてだ。
最近では、多くのドアにはダンパーがついているのでダンパーが機能してれば勢いよくガチャンとは閉まらないが、それでも最後の最後は音が出る、ダンパーの効き具合にもよるが、最後の瞬間に手を添えてる人とそうでない人の違いは確実に音に表れる。
こんなことを思ったのは、何度経験しても毎回どうするのがベストなのだろうかと考える自分がいるから。
自宅に来客があった場合、玄関ドアが閉まったら、即座に鍵をかける場合、普通に鍵をかけてもガチャンと音が響く。
そんな時に、私は少し後悔する、もう少し音を立てないように鍵をかけられなかったのかと、あるいはもう少し時間が経ってから掛ければ良かったと、おそらく玄関の向こうでは追い出されたような不快感を感じさせたかもしれないと。
これは来客が業者のような方であってもだ。
こんな風に私が考えるのは、逆の立場(=客の立場)だったら『歓迎されてなかったんだ』と感じるからだし、ヘタに逆恨みなんかされたら嫌だという思いもある。
最近では防犯意識の高まりで、すぐに鍵を掛けることは大事で、後で掛けようとして忘れたり、僅かな隙に忍び込まれたりする方が怖いのだから、しかしだからといって不愉快にさせるのは得ではない。
面接を受けるような場合、あるいは商談で相手方を訪問するような場合、逆に重要な要件で来客を迎える場合には、ドアの開け閉めや鍵の開け閉めの際の音にはすごく気を使うはずだ。
面接や商談では、中身で勝負したいと思いながらも、印象のマイナスは最小失点に食い止めなければという意識が働くからだし、無神経な振る舞いは中身も毀損することになることを多くの人が感じるはずだ、これは同時に印象でポイントを稼げれば中身のポイントも高まり、話が有利に展開するのではという期待も込められている。
この辺の音に関することをマナーと括ると、それはそれで違うんじゃないかとも感じる。
音そのものを嫌悪するミソフォニアという症状もあるが、ドアや鍵の開け閉めの音の場合は、開け閉めを行なった人の感情が音として表現されてるという風に感じ取られるのだ。
音そのものよりも、音の背後に見え隠れする感情が問題なのだ。
されると敏感に反応する人の中には、することに対しては鈍感な人もいる。
音に対して気遣いや配慮ができない人が鈍感なのは間違いないとしても、ガチャンという音を立てない人が良い人だとは限らなくて、悪い意味でマークされないようにするために、目立たないように行動してる本物の悪党もいるので注意が必要だ。
ところで、Twitterを見てると、マンション住まいの方で在宅中に鍵を掛けてる玄関で、ノブをガチャガチャする音を聞いてビビったという書き込みが少なくないのだ。
施錠忘れ物件を物色中なのだろうか?
中には、鍵をかけ忘れていた人が玄関がガチャンと開く音を立てたので見に行くと誰もいなかったが、ドアを開けるとエレベーターに乗り込むUber Eatsのバッグが見えたという書き込みもあった、配達先を間違えたのかもしれないが、いきなりガチャンはちょっと問題な気もする、在宅の気配があったのでパスしたのだろうか。
ドアや鍵のガチャンという音には、たくさんのドラマや物語がありそうな気がする。