違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

現代用語としての『お花畑』!

使われると文脈から意味は分かるが、自分から使うことはなかったワードにお花畑がある。

 

もちろん、本当に花が植えられてる花畑のことではなく、少々揶揄する意味で使われるワードとしてで、こんなことを改めて書いてみようと思ったのは、今朝次の記事を見たからだ。

 

福原愛「ハマ不倫」商社マンの“既婚で憔悴”に7つのツッコミどころ!

「ただ、愛ちゃんは自分が不倫してるのに、Xさんが既婚者だったことにショックを受けてるっていうのはどうなんだろう」(Bさん)

 

「本当にそれ。6~7年ぶりにいきなり連絡をとってデートした相手と純愛を夢見ていたとしたら、愛ちゃんも相当、頭がお花畑なんじゃないかな……。男は最初から遊びのつもりだったかもしれないし」(Cさん)

 

「鈴木杏樹的なお花畑ちゃんって感じ? お花畑にいるから自分のこと以外はどうでもよくなっていたのかなぁ」(Aさん)

 

 

 

世間では、どういう使い方をされてるのだろうかと、Twitterを探ってみた。

 

政治にも使えそうだと感じさせる使い方があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな議員に対してこんな国民あり、と思わせる使い方もあった。

 

 

 

※マキャベリスト:目的のためには手段を選ばない人

※オポチュニスト:ご都合主義者、日和見主義者

 

 

 

異なる視点で別次元で議論されてることを、同じ土俵の同一次元の話に置き換えるような場合にも用いられるようで、こんなツイートがあった。

 

 

 

 

人間は、人それぞれ自分なりの価値観を持っているが、言葉にすると同じような価値観であっても、その強弱や濃淡は無限のグラデーションを描くように多様に分布している。

 

むしろ、言葉にすると正反対のように見えても、強弱や濃淡の違いまで見渡すと、ほぼ同じ価値観の持ち主同士だということは決して珍しいことではないが、入り口が違うと出会わないということは多いだろう。

 

 

お花畑が見える人には、周りに見える花は当たり前の存在で、そのことに感謝したり、ありがたがることがないのかもしれない。

 

世の中には、花が見えない生き方を強いられてる人の方が多いくらいかもしれないのに、と思わせる使い方もあった。

 

 

 

 

お花畑はウィキペディアでは、妄想や空想であり、本質が見抜けてないこととされてるが、最近のお花畑の使われ方には、これに加えて独り善がりや自分勝手というニュアンスがより強くなってるような気がする。

 

そうしないとメンタルを維持しづらいのかもしれない。

 

 

本当は幸せなのに、自分のことを幸せだと思えてなければお花畑を思い浮かべ、どこかに理想郷があるように錯覚するのかもしれない。

 

不満やコンプレックスが多い人が夢見るのがお花畑だと思いがちだが、恵まれてるはずの人であっても、『もっともっと』という思いに取り憑かれてしまうと、脳内に架空の理想郷としてのお花畑を作り上げるように感じられる。

 

 

現代用語のお花畑とは架空の理想郷として使われているのだ。