使われると文脈から意味は分かるが、自分から使うことはなかったワードにお花畑がある。
もちろん、本当に花が植えられてる花畑のことではなく、少々揶揄する意味で使われるワードとしてで、こんなことを改めて書いてみようと思ったのは、今朝次の記事を見たからだ。
福原愛「ハマ不倫」商社マンの“既婚で憔悴”に7つのツッコミどころ!
「ただ、愛ちゃんは自分が不倫してるのに、Xさんが既婚者だったことにショックを受けてるっていうのはどうなんだろう」(Bさん)
「本当にそれ。6~7年ぶりにいきなり連絡をとってデートした相手と純愛を夢見ていたとしたら、愛ちゃんも相当、頭がお花畑なんじゃないかな……。男は最初から遊びのつもりだったかもしれないし」(Cさん)
「鈴木杏樹的なお花畑ちゃんって感じ? お花畑にいるから自分のこと以外はどうでもよくなっていたのかなぁ」(Aさん)
世間では、どういう使い方をされてるのだろうかと、Twitterを探ってみた。
政治にも使えそうだと感じさせる使い方があった。
何度も言いたくないが、生活保護さえ機能していないのに、BIを導入すれば機能すると思っているのは相当にお花畑だと思う。
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2021年3月31日
すでに竹中式の新自由主義BIが提唱されるなか、BIはもはや最大限警戒すべき施策のひとつ。
それよりも商品化が著しい各公共サービスを無償化したい。
弩アホ、何処まで此奴の脳内はお花畑なのだ、
— 田舎暮しの唱悦 (@shoetsusato) 2021年3月29日
LINE責任者を個人情報保護法違反で逮捕すれよ、
LINEは韓国企業、信用する方がアホ、
騙されても騙されても懲りないアホ
加藤長官「個人情報の懸念が一定程度払拭されたと判断し政府機関における利用を許容する」 https://t.co/0gSVOFsaE0
自民党や公明党の危機感も緊張感もない議員たちと、立憲民主党等の危機感も緊張感もない議員たちが、「お花畑」で政治ごっこをやっている。国民経済に危機意識を持つ議員は党を問わず荒野に出て実情を把握しそれをお花畑議員たちに伝えても、彼らはお花畑しか見ていないので理解できない。
— 室伏謙一 (@keipierremulot) 2021年3月31日
こんな議員に対してこんな国民あり、と思わせる使い方もあった。
ふっふっふ、おれはお花畑に酔わないマキャベリストだぜ、という人は、たいてい、ただのオポチュニストだが、オポチュニストは、結局は使い捨てにされる運命にあることは誰でも知っている。
— James F. (@gamayauber01) 2021年3月29日
国にとって最も長期的な安全保障になるのは、高く掲げられた理想なのね。
意外かも知れないが
※マキャベリスト:目的のためには手段を選ばない人
※オポチュニスト:ご都合主義者、日和見主義者
異なる視点で別次元で議論されてることを、同じ土俵の同一次元の話に置き換えるような場合にも用いられるようで、こんなツイートがあった。
「地球人は手を繋いで仲良くなんて夢物語だよ。現実をちゃんと見ようね。」と言っているだけなのに、ヘイトスピーカーの烙印を押される。この人達は多分、ヘイトスピーチが何たるかさえも理解していないお花畑の人達だったり、その綺麗な心を利用する確信犯の活動家なんだろう。騙されるな。
— アメリカから見た日本 (@yamatogokorous) 2021年3月29日
人間は、人それぞれ自分なりの価値観を持っているが、言葉にすると同じような価値観であっても、その強弱や濃淡は無限のグラデーションを描くように多様に分布している。
むしろ、言葉にすると正反対のように見えても、強弱や濃淡の違いまで見渡すと、ほぼ同じ価値観の持ち主同士だということは決して珍しいことではないが、入り口が違うと出会わないということは多いだろう。
お花畑が見える人には、周りに見える花は当たり前の存在で、そのことに感謝したり、ありがたがることがないのかもしれない。
世の中には、花が見えない生き方を強いられてる人の方が多いくらいかもしれないのに、と思わせる使い方もあった。
日本ではあまりに当たり前で、その幸せに気がつかないで外国へ行くと…勿論それぞれの国もそれぞれだけど…成田や羽田に戻ると圧倒的にホッとする
— Chieko Nagayama (@RibbonChieko) 2021年3月28日
“大国の実感がない”とか、不満を探し”日本は最低のとんでもない国だ”と言えること自体、お花畑の中の幸せなんだろうと思う
もっと、あるある、だけど↓ pic.twitter.com/QmVbbpInSz
お花畑はウィキペディアでは、妄想や空想であり、本質が見抜けてないこととされてるが、最近のお花畑の使われ方には、これに加えて独り善がりや自分勝手というニュアンスがより強くなってるような気がする。
そうしないとメンタルを維持しづらいのかもしれない。
本当は幸せなのに、自分のことを幸せだと思えてなければお花畑を思い浮かべ、どこかに理想郷があるように錯覚するのかもしれない。
不満やコンプレックスが多い人が夢見るのがお花畑だと思いがちだが、恵まれてるはずの人であっても、『もっともっと』という思いに取り憑かれてしまうと、脳内に架空の理想郷としてのお花畑を作り上げるように感じられる。
現代用語のお花畑とは架空の理想郷として使われているのだ。